やりたいことが特になく、成績の制約で、大学は法律でなく政治学専攻に
Q:大学は付属高校(慶応)から、内進で決まったのですね。何故、法律学科でなく、政治学科を選ばれたのですか?
選んだというより、そこしか行けなかったという事情で政治学科になりました。内部進学の場合、大学での学部は高校の成績上位者から行きたい順に決まります。私の代は文系では法学部法律学科が人気で、まだできたばかりの頃の慶応SFC(湘南藤沢キャンパス)の総合政策・環境情報学部も人気がありました。高校時代はアメリカン・フットボール部での部活に一生懸命になっていて、気づいたらひどい成績。そこから商学部、文学部、政治学科からどれか選んでいいよと言われたものの、商学部は数字は苦手なのでパス、そして文学部で勉強するというのは自分には全く想像できない。残すは法学部政治学科ということで、そういう消極的な理由で政治学科になったんです。
Q:本来、法律を勉強したかったのですか?
はっきりしたものでもなく、してもいいかなという程度です。高校では部活でいっぱいいっぱいで将来のことなどは特に考えていませんでした。やりたいことも特になくて、良く分からないけど政治学科でよいか、と・・・。
Q:大学入学で、決め込んでこれっていうことではなかったわけですね。選べる中で選んだのが政治学科だったということでしょうか?
はい、そこしかいけないし・・・(苦笑)。
大学2年から始めた司法試験勉強
Q:司法試験に大学4年生(1998年)の10月に合格されていますが、どんな学生生活だったのですか?
大学1年時は高校のアメフトで部活が一緒だった友人とダイビングのライセンスを取りに行ったり、旅行やバイトをしたりという生活。大学2年の4月から徐々に司法試験用の勉強を始めまして、当時1日5~6時間くらい勉強していました。あとは普通の大学生活を送る、ただ3・4年生になると司法試験の勉強が相当忙しくなるとわかっていましたので、大学1・2年生のうちにほぼ卒業単位を取り終えました。これも政治学科の特殊なところですが、履修は何単位取ってもよくて、月曜日朝9時台から土曜日の2時頃の最後のコマまで、全コマ履修することができました。実際授業に出てみて興味が持てたり、ノートがあったりすれば全部試験を受ける。逆に、試験を受けなければ何故か最初から授業を履修していないことになるという変わった� �ステムでした。確か144単位で卒業だったのですが、2年生修了時点で140単位を取りました。あまりいい成績ではなかったのですが・・・。なので大学3年の前半に三田キャンパスに数回行ったくらい。それ以降何やっていたかというと朝7時半から夜11時くらいまで取り憑かれたように司法試験の勉強をしていました。
Q:1、2年のうちに詰めて単位を取られたのですね。
今のロースクールはちゃんと授業を受けて議論してっていう、法曹教育として非常にまっとうな教育だという気がしているのですが、昔は覚えて考え方を身につけて、試験を受けて受かればいい。大学の成績も関係ないですし。だから大学は大学でさっさと卒業し、後は司法試験に受かればいいという感じで勉強していました。最近は就職活動の時に大学やロースクールの成績の提出を求められることも多いようですが、当時言われなかった。言われていたらまともに就職できなかったかもしれませんね。
Q:司法試験を受けようと思ったのはいつですか?
大学1年の時です。旅行やバイト生活も飽きてきて、そろそろ本気で何かに取り組もうかなと思い始めていた頃でした。夏休みに、時間があったので車で九州以外の全県を回ったりしたのですが、途中で飽きちゃいまして、これは何かもう少し具体的な目的があることをやらねばと。周りを見ると、高校時代のチームメイトは朝から晩までアメフトをやっている。自分もそれくらいの時間を費やして、気合を入れて何かに取り組もうかと思いました。
Q:お父さんは弁護士と伺いました。当時のご自身のキャリアイメージはお父さんでしたか?
それもひとつあります。他方で小さい頃、父親には反発があって弁護士にはなるものかと育ったところもあって、複雑なところもありました。ただ、小さい頃から周りの大人から「大きくなったらお父さんの事務所を継げば良いんじゃないか」みたいなことを言われて育ちましたので、弁護士という職業はやはり気にはなりました。気になってしまった以上は必ず30歳とか40歳とか人生どこかのタイミングで「あの時司法試験やっとけばよかった」と後悔は必ずするだろうと。だったら今受かって、そんなこと考えなくてもいいように好きなことをやろうと思ったのが、スタートなんです。また、当時はこれから就職難になると言われていた時代。ならば司法試験受かりましたと言えば、就職も何とかなるだろう、そんな感じでした。ホ� ��トに後ろ向きな話ばかりで恐縮なんですが・・・。例えば、当時映画が好きで毎日のように映画を見ていたのですが、映画の配給会社の買い付けは楽しそうだなとか、でも私自身、何のバックグラウンドもないんですね。大学で勉強したことも何か役に立つわけではないですし、英語やフランス語が話せるわけではない。でもそういう時に法律が分かります、契約交渉できますとか言えば面白そうな会社に就職できるんじゃないかなとか考えてました。また、勉強しているうちにこれが楽しいと思うかもしれない。プランとしては25から20代後半くらいに受かれば、人生60年から80年もあるので、そこからスタートでもいいだろうと。父はもともと会社で働いた後に辞めて、30過ぎに弁護士になっているのですが、それを見ていて、人生生き� ��がなくても大丈夫だろうという安心感もありました。
予定より早く受験生活が終わってしまい、びっくりしたのを覚えています
Q:それで、大学4年の10月に、1回目のチャレンジで合格した?
はい。自分自身、予定より早く受験生活が終わってびっくりしたのを覚えています。模試を受けているとこれは合格してもおかしくない成績だろうとかいうのは出てくるんですが、合格率を考えると、なかなか合格することのイメージを具体的に持つのは難しい。もちろん、落ちたくないとか、自分は絶対に落ちないとか日々考えて勉強をやっていたものの、受かったらもう司法試験の勉強をしなくてよくて、そこから先は研修が待っていて、2年後くらいは弁護士になっていて、というそんな具体的なことまで考えられなかった。落ちないイコール受かるは当たり前なんですが、それが自分の生活にどう影響して、自分の将来についてどういう決断をしなきゃいけないのかは全く考えていなかった。
Q:当時の試験制度はどのようなもので、合格率は何パーセントくらいだったのでしょうか。
昔は1年に3階層の試験がありました。今は試験制度が変わってしまいましたが・・・。5月の第2週「母の日」の日曜日にマークシートの択一で、最初が短答式、全国でだいたい5分の1くらいに絞られます。論文が7月20日頃「海の日」あたり、これでさらに4分の1から5分の1になります。9月末にだいたい800人~900人くらいが残って、最後の口述試験で10%くらいが落ちる。最終の発表は確か10月末くらい。私の時で受験者は3万人くらいで、最終的に800人くらい合格だったと思います。合格率にすると2.7%程度でしょうか。
Q:98年当時、学部生で合格した人、あるいは1回で合格した人はいたのでしょうか?
結構いますよ。合格するまで大学を卒業しない人もたくさんいるので、数字の解釈は色々ありそうですが、当時大学生で合格するのは全体の3割くらいだったと思います。また、1回で合格するのは合格者の1割くらいなのではないでしょうか(注:法務省によると平成10年度は67人で8.3%)。
Q:根を詰めて、集中的にやる試験なんでしょうね(笑)。
当時、私や私の周りにいた大学生としては多分それが多数派だと思います。ただ、ひとたび研修所に入ると意外とそうでもなかった。例えばクラスで私の隣に座っていた方は元日銀の65歳近くの方でしたし、会社で働きながら司法試験に合格しましたとか、主婦やりながら勉強して受かりましたとか、色々な方がいました。私は世の中を何も知らず、「大学からそのまま来ました」というのが恥ずかしいような、そんな気持ちになりました。
Q:当時、法律以外の学問をやっていた人で、司法試験に合格した人数はどれくらいだったのでしょうか?
私の大学の同じ学年でどれくらいいたかどうか記憶にありませんが、政治学科の先輩で受かった人が数人いたと思います。ちなみに、私の大学では、政治学科というところに入った後、法律の授業が好きな人が法律学科に転科するという方法もありました。ただ、それやると、1年生の法律学科の授業を取り直さなくてはいけない。私は学校はあんまり好きじゃなかったので、そこまでこだわって、転科はやりたくないなと思いました。
Q:転科はかえって、司法試験にはロスになってしまうという感じでしょうか?
当然学ぶものはあると思うのですが、少なくとも私にとっては学問的に法律が好きというスタートではなかった。まず司法試験に受かってみて考えようと考えて、受かる最短コースをということで、受験予備校に行って受けました。当時資格ブームが始まった頃だったので、よくあるパターンなんです。かなりの人が予備校に通っていました。
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