2012年4月9日月曜日

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安全保障の意味 2003.03.01  小野 喜也(昭33経)

 北朝鮮がミサイルを発射したという報道で、今週は騒然となりました。
結局、シルクワームとか言う地対艦ミサイルで射程距離は60〜100kmと短
く、日本には届かない種類のものだということが判りました。
 最近は、ようやく北朝鮮の持っているノドンと言うミサイルは日本の何処へで
も届くことを認識する人が増えて来ました。テポドンと言うのはアメリカまで届
くと言われています。

 旧式だとか、性能が良くないとか言う人もいますが、狙いが多少それたとして
も原爆を積んでいれば、着弾の誤差はカバー出来ます。発射されれば数分の単位
の時間で、日本海を飛び越えてやって来きます。この短時間に対空ミサイルで撃
墜することは至難の技です。
 ここに至って、平和ボケと揶揄されている日本人も、さすがに、多くの人が心
配になって来たようです。何しろ拉致問題で長年の間の嘘がハッキリした、とん
でもない國だという認識は広まっていますから、「ミサイルで原爆を打ち込まれ
たらどうするの?」と井戸端会議の議題にもなっているようです。
 北朝鮮がノドンの発射準備にかかったのが判った時点で、先制攻撃をすればと
いう考え方もありますが、現在の日本の法体系では簡単には出来ず、そのような
軍備も充分ではないでしょう。
 「まさかミサイルで攻撃してくることは無いだろう」と思っている人も、まだ
いるかも知れませんが、湾岸戦争の際にはイラクはイスラエルとサウジアラビア
に向って、ミサイルを打ち込みました。直接に軍隊をイラクへ進めていない國で
あっても、敵の味方は敵というのが戦争の常識です。

 生命保険や損害保険、自動車保険さらには旅行保険までかけて、丈夫で長生き
したい多くの人は、個人では「安全保証」の確保に努めています。神社仏閣への
参拝も「家内安全」の願いが多いことでしょう。
 ところが、一端この「安全保障」が國の単位の問題になると、途端に関心が薄
くなるというのは、可笑しな現象です。だいたい國家というものは、地理的な区
画ではありますが、そこに住む人達の「安全を守る」ことと「利益をもたらす」
ことを最も重要な目的としています。
 「安全を守る」ことには、警察、消防、治山治水と国内だけの問題もあります
が、外国との紛争から国民を守ることも含まれているのは当然です。外交交渉に
よって、この二つの國の利益を守ることが政府の責任ですが、外交交渉には軍事
力と経済力を背景とした様々な駆け引きが必要なのが、世界の現実です。

 敗戦後の日本の國としての「安全保障」は、日米安保条約によって守られてい
るのであり、アメリカのミサイルと核爆弾の傘の下にいたからこそ、ソ連との冷
戦下においても、安心して経済発展に力を注いで来られました。
 戦争アレルギーにかかった多くの国民は、共産主義思想を理想とする一部の日
本人達に乗せられて、単独講和に反対し、安保条約に反対し、日本を共産主義的
な社会主義国家にしたい人達の、欺瞞的な空想的平和主義に引きずられて来まし
たが、北朝鮮の身近な脅威にようやく目を覚まそうとしているのでしょうか?

 自分の國は自分で守ることが大原則です。アメリカ人の若者たちに血を流させ
ておいて、お金だけで済まそうとした湾岸戦争では世界の嘲りを受けました。
その後は平和維持のための自衛隊の海外派遣も行えるようになりましたが、昨年
のイージス艦の派遣でも、まだゴタゴタと騒ぐ人達がいます。
 平和国家宣言をすることは良いことですが、世界はまだ善意に満ちた自国より
も他国の利害を考慮するほど成熟したものではありません。世界の平和はお祈り
だけでは実現しないのです。
「有事立法」の政府案は、そのような昨年までの世論を基に作成されているよう
にも思えます。果たしてこの程度の法整備で、いざと言う時に間に合うのでしょ
うか? 年寄り達が古い考えに捕われていても、世界の現実はどんどん変化を続
けています。変わり行く環境に適応できなければ、かって恐竜もが死滅したよう
に、国家も企業も個人も死に絶えるのが歴史の教訓です。
 「丈夫で長生きして、介護は受けたくない」というピンピンコロリを望む人に
とっても、北朝鮮の核弾頭で一瞬の内に火葬にされることは望まないと思います。

 実は北朝鮮はまだ、核弾頭を完成してはいません。作りそうだという騒ぎです。
ロシアと中国という二つの巨大な隣国は、すでに核弾頭も長距離ミサイルも持って
います。すでに持っている國は、これから持とうとする國を許さないというのが
現実の世界なのです。 この環境の中で日本の「安全保障」をどのようにして守
っていくのか、決して簡単なことではありません。

 金日成への絶対的な忠誠を求める独裁体制は、食料も足らない北朝鮮国民にと
っても、満足なものであるはずはありませんが、この体制がもし崩壊しそうにな
ったら、軍事行動を起こす危険性はありあす。そして、日本、韓国に大戦災があ
ったとしたら、北朝鮮も戦火にさらされて金政権は崩壊するでしょう。しかし、
その後はどうなるのでしょうか? 
きっと、無傷で残った中国とロシアは、今よりも有利な立場になるでしょう。
さあ、貴方はどのようにして「安全」を守りますか?

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明治天皇とその時代に学ぶ 2003.01.25 浜地 道雄さん(昭40経)

明治天皇生誕150年記念懸賞論文「入選」作

人間明治天皇、
国際社会における日本の「ソフト・パワーの源泉」

「マンハッタンから時空を越えて」 
某日、私はマンハッタンのミッドタウンにある由緒あるホテルの大きなオークション
(競売)会場で緊張していた。目当てはアジアからの唯一の出展「Mutsuhito」(睦
仁)である。解説には「日本の工業化及び世界における力を高めた責任者である天
皇」とある。千九百年五月二十六日付けの「それ」は明治天皇の署名による、イタリ
アの国王ウンベルト一世宛ての皇太子Yoshihito(嘉仁)とSadako(節子=九条)妃の
結婚の公式通知状である。最後には「陛下(=ウンベルト一世)ノ良弟及ビ良友」と
日本語訳がある。
神経の磨り減る思いのセリの結果、落札。とたんに近くにいたアメリカ人が「おめで
とう。本当に貴重な買い物をした」と声をかけてくる。実物を見るとカタカナ混じり
のきちんとした楷書の二枚の書簡と公式フランス語訳で、金色の菊の紋の花弁をきち
んと十六枚数えることができる。
この稀有の宝をつらつら見ながら、思いはまず当時のイタリアとの関係、日本を取り
巻く国際情勢、更には現在日本の置かれてる立場と、時空を超えて広がっていく。そ
して詰まるところ、日本の国益の源泉が実は明治天皇にあるというところに行き着く
のである。同時に「子を思う親」としての人間「明治天皇」が伺え、日本のアイデン
ティティーの象徴という、世界がうらやむ原点「敬愛される皇室家族」にたどり着
く。当地メトロポリタン美術館所蔵の「扶桑高貴鑑Mirror of Japanese Nobility」
に見る理想図である。

「明治維新、稀有の無血大革命」
時空を越えたロマンの一つはトルコに見出せる。世界でも稀有の「無血大革命」、明
治維新はアタ・テュルク(トルコの父)たるケマル・パシャにとり、まさに理想を具
現化した近代化のモデルであった。実に、「和魂洋才」こそが中核の精神だった。ケ
マル・パシャは長い西洋白人世界支配に有色人種として初めて「待った」をかけるこ
とに成功した日本を尊敬し、終世その執務室に明治天皇の写真を飾っていた由。

時を経て、世界の経済大国となった今の日本。なお国際的には敬意をうけるでもな
く、リーダでもない。あまつさえ長く尾をひく不況。先の見えない経済。目処すらつ
かない構造改革。そして、政治家の不祥事。世相の暗さ。教育の荒廃、モラルの後
退。そこへ、世界経済の枠組みにおける日本の信用格下げ。これは一体どういうこと
か? 和魂洋才の「才」のみに目が行き、「魂」を忘れたことにあるのではなかろう
か? 「古き良き時代」という感傷的時代回顧は別にして「(建国の)使命感に満ち
た堂々たる日本人」はどこに行ったのか?

「廃藩置県=不可避の痛み。構造改革のモデル」
小泉内閣が抱えてる最大の問題、構造改革は、廃藩置県と諸改革(一八六九—一八七
三年)にモデルを見ることができる。現在学校では「廃藩置県」を単なる行政上の改
編としか教えてないが、実はこれこそ大いなる痛みを伴った「リストラ」であった。
国力を育成するためには,欧化政策をすすめて欧米の政治・経済制度を導入すること
が不可欠と考えられていたが,それを遂行するにあたって財源の確保,そして人心の
集結が必要だった。そのために,新政府が実施したのが廃藩置県である。それはまさ
に「改革」あり、現代の構造不況の中、失業者が出てる状況と酷似している。藩財政
の極端な悪化はいわば倒産と不良債権であり、実権を失い、大名、家臣、一族郎等家
族も含めて大失業時代となった。 民力向上の為の四民平等と同時になされた地租改
正は各地で反対一揆を招いた。又、国家意識の養成の為の教育改革、即ち、一八七二
年学制にはこれまた各地で反対一揆がおこった。いずれも、「次の時代」への生みの
苦しみであり、「構造改革」には痛みを伴うという教えである。

「教育と知力=インテリジェンス」
大正天皇の成婚に当り、明治天皇が日本の啓蒙活動の中心人物である福沢諭吉に、金
五万円並びに教育に対する貢献を称える沙汰書を賜ったのは特記される。今の日本に
とり、「改革」とならんで重要なのは「教育」。維新以後、多くの犠牲、試行錯誤の
末に「大国」となった今、また先達に学び、真剣に考える時期にきた。われわれは、
「インテリジェンス」に目覚めねばならない。それは、知識、知力、学問、教育であ
るし、一方、時に諜報とも解釈される高度な情報力(収集、分析、配分、応用の総括
集)でもある。それは、自分自身を磨くことであるし、他者を知ることだし、そこか
ら緩急自在の応用力を発揮することとなる。 勿論「次の世代」の教育建て直しも焦
眉の急である。これが間違いなくソフト・パワーとなり、(武力一辺倒の)ハード・パ
ワーを凌駕する戦略である。百二十五年も前の福沢諭吉の説く「文明論之概略」に合
致するし、「学問ノススメ」にも見事に啓示されている。
「岩倉具視米欧使節団=文明の衝突」                     
昨年九月十一日以後もてはやされている「文明の衝突」論は今に始まったことではな
い。二五〇年間の鎖国から急に国際化の波に曝された維新こそ「文明(文化)の衝
突」である。その現われが岩倉具視を代表とする使節団の米欧回覧である(一八七一
年)。右大臣といえば副総理。他大久保利通、木戸孝充、伊藤博文と新政府の重要閣
僚が六百余日の「とてつもない観光」で近代化の手がかりを学び、実践した。今日で
も海外旅行は非日常的。まして、同行した五人の少女留学生も含めて総勢百人にと
り、その「衝突ぶり」はいかばかりだったろう。その衝撃にもかかわらず一行が臆せ
ず立派な日本人であったのは「近代日本の建国の使命感」であった。

「人間天皇、皇室敬愛」

明治天皇が「万民のため」に、その実践者として近代化のリーダ足りえたのは国民の
敬愛の精神によるものであることは知られている。筆者は石油担当商社マンという仕
事柄、アラブの王族との付き合いも多かった。何時だったかその若いプリンスと会食
の際、「(日本の)皇族の名前」が話題になった。さて、故昭和天皇が裕仁(ひろひ
と)というのは何とか分かったが、迪宮(みちのみや)という称号だったことは誰も
知らない。今上天皇は?となると継宮明仁(つぐのみや・あきひと)というのが出て
こない。それも参加者全員が、誰一人として知らない。彼のアラブのプリンスは「全
く信じられない」と呆れ、驚愕すらしている。この物事をきちんとする先進国日本
で、皇族の名前を国民が知らないとは! 確かにアラブだけではなく、欧州の王室な
ど、各国元首の名前を国民が知らないといった現象はない。

しかし、実はこれは日本の文字通り「安泰の象徴」とも言えると思いが至った。つま
り「人間天皇」「家族としての皇族」という構図が「唯一無二の存在」という「安心
感」「信頼感」で根づいているということであろう。件のアラビアの王子の言葉を借
りずとも、歴史的に国の安泰に非常な神経と力を注ぐ世界各国にとって何とも羨まし
い制度、風土ではある。

「皇太子成婚、新宮誕生。再びニューヨークから」
新春、ニューヨーク邦人会での賀詞交換会は「君が代」斉唱から始まった。日の丸と
星条旗の元、参加者一同、改めて心地よい緊張感を覚える。不景気にも関わらず一同
どことなく嬉しいのは、新宮誕生があるからだ。この嬉しさは一九九三年の新年会に
もあった。同様前年末に皇太子の婚約発表があり、折りしもバブルがはじけ出した時
で、みな不安な思いながらこの慶事を心から喜んだものだった。と同時に思ったのは
四年前、ちょうど命日にあたるその日に亡くなった昭和天皇のこと。「孫の成婚」を
目尻を下げて誰よりも喜んだのはあの世にいる「お祖父(じい)ちゃん」だったに違
いない、と思いを馳せた。ここに見る「人の姿」「家族の肖像」が我が日本の「象
徴」であるわけだが、そこには「なごみ」がある。

これを福澤諭吉は「和気」と喝破している。「帝室論」(一九八五年)は「帝室は政治
社外のものなり」と始まる。慧眼なのは「(国会の政府政党の争いがいかに苛烈であ
ろうとも)帝室はひとり万年の春にして、人民これを仰げば悠然として『和気』を催
すべし」とあり、さらに「人民これを仰げばもってそのいかりを解くべし」と皇室を
「民心の融和力」の中心においている。

「国際社会におけるソフトパワーの源泉」
紆余曲折を経て経済大国となった日本に今求められているのは国際リーダシップであ
るが、そこにはアイデンティティーが不可欠要素である。世界の多くの国で国家元首
の肖像が巷に掲げられているのもこのアイデンティティーが所以であるし、実質的に
世界リーダたるアメリカ合州国においても人種、宗教の違う異文化の集合体であり、
そこに最も重要な課題はアイデンティティー、つまり、自己認識、求心力である。こ
こより見れば、天皇制という伝統は世界の垂涎の的であるということを思い直す必要
がある。

今言われる「グローバライゼーション」とはとりも直さず「国際競争に曝されてい
く」ということだが、国内外を問わず、政治であれ貿易であれ、およそ人間社会の根
にある最も重要なことは「信頼感」である。これと反比例する社会では法律・規則・
ルールの設定、弁護士の氾濫、マニュアル至上主義といずれも大いに「コスト」のか
かる手法をとらざるを得ない。
多少不謹慎な表現をすれば、「皇室に象徴される国家信頼感」はこの「コスト」を大
いに減少できるのであり、これはとりもなおさず「競争力」に直結する。日本の場
合、それが人間家族としての「なごみ」の上に成り立つ理想の姿と言える。それこそ
がソフト・パワー(軍事力一辺倒でない国力)であり、その源泉は右に見る如く明治
天皇という人間にあり、そしてその時代を生きその後の日本を築いた先達にあった。
「近代皇室とそれを敬愛する国民。これこそ国際社会でリーダーたらん日本に不可欠
かつ誇るべきのソフト・パワーであり、その源泉は明治天皇にある」と結論付けた
い。

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北朝鮮とイラクとロシア 2003.01.20 小野 喜也
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 朝鮮人民共和国と書けと主張して来た日本の様々な組織の主張は、「日本人拉
致」が明らかにされた時点から、一挙にしぼんでしまい、北朝鮮と書いても文句
を言う人は少なくなったようです。 核戦力による脅しでアメリカと交渉して、
独裁体制を維持しようとしている金正日政府の戦略は、自らが長距離ミサイルの
射程距離に置かれている日本人にとっては、不愉快そのものですが、アメリカ政
府は北朝鮮を武力で侵攻をしないという方針で進んでいます。

「なぜイラクへは攻撃なのに、北朝鮮とは話し合いをするのか?」この疑問は多
くのアメリカ人も持つもののようです。「テロとの戦い」のために「脅威に対し
て先制攻撃を行う」政策を巡って、アメリカ国内のシンクタンクの開くシンポジ
ウムなどでの意見には次ぎのようなものがあるそうです。
「金成日は政権存続のために米国の支援を得ようと核を交渉カードとして使うが、
フセインはアラブ統一とその指導者となる目的のために大量殺戮兵器を「道具」
として使う」
 また「イラクはクエート侵攻や自国国民さえ大量殺戮兵器で虐殺したが、北朝
鮮は過去50年間他国を侵略していない。テロ活動も15年間行っていないでは
ないか」というパネリストもいるなど、回答はいろいろですが、北朝鮮はイラク
に比べて牙がないと見る人も多いようです。やはり日本とは地球上の位置が違い
ます。

 日本ではこれまで、イラクについては原油資源を巡る思惑が取り沙汰されて来
ました。反米を鼓吹するフセイン政府を倒して、親米政権による原油支配を目指
しているというものです。しかし、フセイン政権を維持したいロシアがこの説を
流している可能性もあります。国際政治の駆け引きは虚々実々です。

 あるいは、韓国に駐留している米軍3万7千人と同盟国である日本と韓国への
報復を考えれば、安易には北朝鮮への攻撃を言明できないのかも知れません。 
軍事戦略の基本は二正面作戦(二つの異なる方面での同時期の作戦)は避けるべ
きとされてもいます。ブッシュ政権の高官は「二正面を戦う用意はある」と強気
の発言もしましたが、実現への動きは見られません。

 国連の査察活動での駆け引きが続いていますが、イラクへの攻撃が開始される
と、日本の原油輸入に大きな影響が起こります。日本の中東依存度は、オイルシ
ョックの時期と変わらず88%です。アメリカはロシアやアンゴラからの輸入を
増やしています。ユーロ各国は中東依存度は20〜30%程度です。
 先のオイルショックの際に商社悪玉説などに振り回され、この問題が日本の安
全保障の問題であるという認識は、国会にもマスコミにも見あたりませんでした。
その後、公共投資を含めて原油備蓄基地は建設されましたが、輸入先の多角化は
行われませんでした。

 小泉首相とプーチン大統領の会談で、東シベリア・アンガルスク(イルクーツ
ク州)とナホトカ(沿海州)を結ぶ石油パイプライン計画の実現に向け努力する
ことで合意したとのことです。パイプラインは全長3,800km。総工費は50億米
ドル以上。日本政府は、このルートが完成した場合、日本はロシアから「日量
100万バレルの原油を輸入する」とされています。もちろん経費は日本が融資を
することが前提ですが、実現すれば中東原油への依存度は12〜3%減らすこと
は可能だと考えられているようです。 
 ナホトカまで出せれば、あとは船でどこへでも運べますからロシアには美味し
い話ですが、アンガルスクの原油は中国政府との間でもパイプラインを引くこと
で合意があります。 ナホトカまでを日本の資金で建設して、そこからは中国が
資金を出すのでしょうか? 生産量は大丈夫かな? これから調査が始まります
が、ロシアとの経済的な結び付きが領土問題にさきがけて生まれそうな展開とな
っています。 ロシア経済は石油の輸出が支えており、日本も原油調達先の多角
化を迫られていることから、現実的な交渉となると思われます。

 アフガニスタンでもチェチェン・グルジアでも、油田と消費地を結ぶパイプ
ラインのルートを巡る紛争があり、石油というエネルギー資源のための、國と
國との利害が衝突したり、手を結んだりしているのが世界の現状です。 

 1941年に日本が対米戦争を決意した時点での、最大の問題はアメリカ、イギ
リス、オランダからの対日石油輸出禁止措置であったのです。そのために日本は
油田のあるオランダの植民地インドネシアへの南下作戦を実行し、輸送海路の制
海権を確保するために、ハワイとシンガポールの米英海軍を最初に攻撃しました。

 北朝鮮の包囲を強め過ぎると、軍事行動を起こすのではないかとの懸念は、
現実に存在します。友好国であり自らが攻撃をされる懸念の無いロシアと中国が
北朝鮮を本気で押さえてくれる理由はありませんが、日本の経済力を利用したい
自国の都合の範囲の中での協力はするでしょう。
 日本の安全保障は、まず自らの備えと、米国、韓国との連携の中に組立てると
いうのが、現在取りうる最善の策であると思われます。

 ジョン・レノンの作った名曲『Imagin』は日本の中学教育の教材にもなり、
オノ・ヨーコさんの新聞広告や街頭ディスプレイでのキャンぺーンもあって、
9.11以後は米国でも再び注目を集めています。
 平和の理想を求める素晴らしい歌詞で、私もよく聴いたり歌ったりします。
しかし、歌の誕生から20年を経て、まだまだ人類はその理想には遥かに遠い
地点に立っている現実もまた直視したいと考えています。


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それでも、貴方はまだ棄権を続けますか? 2003.1.4 小野 喜也

 韓国の大統領選挙は接戦の末に盧武鉉氏の当選となりました。投票率は過去
3回の80%台を下回りましたが、70.8%と日本では見かけない高い水準でした。

 我国では国政選挙でも地方選挙でも、低い投票率が長年にわたり続いています。
そして、その理由は若い世代と女性の棄権が多いためだと言われています。
なぜ数多くの人々は棄権を続けているのか、一言でまとめれが「投票をしても
しなくても世の中は変わらない」という考え方が広がっているための様です。
本当にそうでしょうか?


どのように口コミを投稿してください

 「投票をしてもしなくても世の中は変わらない」という結構な時代は既に終わ
っています。
 敗戦後の廃虚の中から世界有数の経済力を築き上げて来た日本のシステムは世
界の環境変化によって、今ではシステムの再構築を行なう必要に迫られています。
 棄権を続けている人たちが、これまでの惰性の中で呑気にしている間に、再構
築は一向に進まず、事態は悪化への坂道を転がり落ち続けています。
「投票をしてもしなくても世の中は変わらない」のではなく「投票をしないから
悪い方へと変わっている」のです。
 ご自分は投票を続けているという方には、この呼び掛けは不要ではありますが、
周囲に投票へ行かない人を見かけたときに是非お伝えを願います。

 この高い棄権率はバブルの真っ最中にも、バブルの崩壊後も変わらず続いてい
ます。そして世論調査における支持政党無しという回答は50%を超えています。
それに対して各政党への支持は自民党への20%台を筆頭にして、その他はすべ
て一桁台の支持しかありません。与党にも野党にも政治には期待していないとい
う人たちが過半数であることを示していて、無党派層、浮動票、無関心層と呼ば
れています。しかし、本当に無関心なのでしょうか?

 一方では、小泉首相への支持率は80%台という驚異的な高水準の後、田中外
務大臣の更迭後に急落したものの、再び歴代首相に比べると高い支持率が続いて
います。この面からは「改革」を唱える小泉首相への期待が広く存在すると考え
られます。
 つまり、日本の有権者は現状に不満を持ち、将来に不安を持つようにはなった
ものの、改革の実行は誰かがしてくれるだろうと漠然と望んでいて、いずれは経
済も自動的に立ち直るかと考えているように見えます。しかし、民主主義制度の
中では、そんなことが起こることは絶対にありません。

 棄権を続けている50%を超える人たちの半分だけが投票をするだけでも、
各政党の議席数は大きく変わります。また同じ政党の中でも当選する顔ぶれは
がらりと変わることでしょう。韓国の大統領選挙並みの投票率ともなれば間違
いなく政界の構成は大変動という結果となるでしょう。
 有権者が最も期待する方向へ進もうとしている候補者への投票が増えること
によって、はじめて改革は進みより良い方向へ進むことが出来ます。
 最近のトルコの国政選挙に見るように、国会議員の過半数以上の顔ぶれが、
たった一度の選挙で替ったという例があります。

 高まる失業率、本来リストラという言葉は「再構築」の意味なのに、人員削減
だけを行なう企業の多いことはご承知の通りです。國の事業も失業保険はパンク
状態、健康保険も給付削減・掛金増加、年金基金は放慢経営で同じく先細りです。
 銀行の経営は建て直せず、生命保険も約束が守れなくなりそうな、生活基盤の
不安の中で、生活の防衛のために消費を節約している国民が、様々な諸制度の
「再構築」すなわち「改革」を求めていない訳はありません。

 一昨年の小泉内閣の発足以来、「改革」を唱えない政治家は一人もいなくなり
ました。中央官庁も地方自治体もそれぞれ「口では」改革に反対していません。
しかし、実際には「改革」はまだ僅かしか実現せずに、状況は悪化を続けていま
す。十を唱えて一しか進まず、あるいは温存を図る動きが随所に見られます。

 これまでのシステムで利益を受けている人が、口には出さずとも、その変更
に反対であるのは当然のことです。それは何時の時代でも、何処の國でも変わら
ないことです。
 一体誰が本当に國全体のための「改革」を進めようとしているのか? また誰
が「改革」を口にしながら、阻止したり遅らせて既得権益を守ろうとしているの
か? それを見極めることの出来る知力のある有権者が投票に参加しなければ、
相変わらず問題は先送りされ続けて、大きな破局へ向い続けます。 

 今年は春に統一地方選挙があります。國から地方へ分権化が進む中で地方政治
の代弁者の選択は、これまで以上に大切になりました。かっては県知事から国会
議員へと進むのが定番コースであったのに、近年では国会議員が任期中に県知事
選挙へ出ることが多くなっていることも、その辺りの事情を反映しています。
この地方選挙の結果は、国政へも大きな影響をもたらすことでしょう。決して
一部の組織票に委ねて傍観してはならない重要な選挙です。

 衆議院は総理大臣が解散を決意すれば、何時でも総選挙ということになります。
秋の自民党党首の選挙は党内の問題ですが、その前でも後でも衆議院議員の任期
の残りが短くなるにつれて、総理大臣の最大の権限である「解散権」を行使する
可能性は高まります。政界ではすでに着々と総選挙への準備が進んでいます。

 いざ、総選挙となれば、貴方の先行きへの希望を切り開く「改革」を実行する
人を選んで投票しなければ、それからまた数年の間は「悪い方へと変わっている」
状態を変えることは出来ません。「それでも、貴方はまだ棄権を続けますか? 」

 小泉首相は最大与党である自民党の党首です。しかしながら党内では少数派で
あるグループに属していて、より大きなグループとの微妙なバランスの上で党首
の地位にあります。
 この辺りの政治の実情は、教科書で読んだ仕組みだけでは判らないことが、若
い世代や女性など棄権を続けている人たちにはあるのかもしれません。 自民党
という政党は内部に幾つかのグループがあり、代表者の名前で○○派と呼ばれて
いることは知られています。
 このグループなり派閥の存在自体は、公的な区分ではありませんが、国会議員
手帳にも記載されていて、重要な意味を持っています。
 これまで長い間、首相と大臣の座に付くための重要な機能を果たして来ました。
政策についての考え方の近い人たちの集まりであると同時に、政治家としての利
害を共有する存在でもあります。そして、しばしば政治家個人としての言動を制
限して来ました。

 従って、有権者は自分の投票権のある選挙区の立候補者への評価については、
所属政党とその候補者の政見と履歴を判断材料としますが、さらに所属グループ
を確認しなければなりません。これは自民党に限らず民社党についても同様です。
民主党は新しい政党ですから過去の所属政党を見る必要もあります。
それらの情報を手軽に知るためには、インターネットの利用が一番です。

 総理府はいまだに選挙に関するインターネットの利用についての新しい判断基
準を示していません。国会議員もまた一部を除いてはインターネット出現以前の
選挙法のルールに触ろうとしていません。
 しかし、政党以外の個人や団体が発信するホームページには何ら規制するルー
ルはありません。今年の統一地方選挙ではインターネットを活用する勝手連のよ
うな運動が拡大することと思われます。 韓国大統領選挙でもインターネットの
効果は若い支持者の獲得に成功した盧武鉉氏に有利に働いたと伝えられています。

 インターネット三田会のサイトでは「これは便利/政治」というページを設け
て、インターネット・デモクラシーの進展に寄与したいと願っています。

 政党でも報道機関でも行なっていない、「選挙区別の衆参両院議員のリスト」
を掲載して各議員のホームページへリンクしています。ホームページを発信して
いない議員は掲載していませんが、その数は僅かになりました。
 最近ではアドレス変更をすると小生へリンクの修正を依頼してくる事務所も出
て来ています。

 ご自分の選挙区の議員のホームページは、ブックマークしておいて日頃からの
政治的行動を観察するように心掛けてください。そこから民主主義の基盤が築か
れます。各議員へのメールを送ることも出来ます。それにどう答えるかが、また
有権者の判断の基準となります。さらに現職以外の候補者のホームページをも
見る必要があります。現職有利と言われる小選挙区制度にあっても、挑戦をする
候補者はホームページを必ず発信するであろうと思います。

 より良い國を作り、自らの将来を切り開くために、有権者自らが主権者として
の意識と自覚を持って、参加しなければ「改革」は進展することはないと考えて
おります。
 今一度お願いします。ご自分は投票を続けているという方は、周囲に投票へ行
かない人を見かけたときにお伝え願います。
「それでも、貴方はまだ棄権を続けますか? 」と尋ねてください。

「改革」に反対する人を減らすことは出来ません。
「改革」に賛成する人を増やさなければ「改革」は進みません。
既得権益により大きな利益を得ている人たちと、そのおこぼれを有難く思ってい
る人たちを足した数よりも、不利益をこうむっている人たちの数の多いからこそ
「改革」は必要なのです。

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『キリスト教原理主義』 2002.11.23 小野 喜也

 米国の中間選挙は与党共和党の歴史的勝利を記録して、政局の焦点は2年後
の大統領選挙へと移動しました。ブッシュ・パパの果たせなかった大統領再選
を果たすことが、ブッシュ政権の中心的課題であり、その目標へ向かって総べ
ての政策が立案され実行されていると考えられます。

 移民によって形成された米国は、世界の中で特殊な国家であり建国200年
余りの短い歴史の中にも、現在においても他の諸国とは異なる、多様な価値観
の混在する特性を持っています。
 このことは、単一民族に近い国民構成を持ち、統一的教育によって国民が類
似の価値観を持つ日本とは対極に近いほどの相違があり、理解を妨げる要因の
一つとなっています。

 とりわけ、欧州大陸における宗教的迫害を逃れた新教徒(プロテスタント)
の北東部への移民を起源とするアメリカ合衆国の、宗教についての理解は現在
においても、私たちには充分ではないというよりも不足が目立ちます。
 私たち日本人の大部分は、子供が生まれればお宮参り(神道)で、死ねばお
寺(仏教)という、神仏入り交じった曖昧な宗教感覚で生活し、子弟を教育し
ています。ところが、米国では移民した民族の数を上回る多数の宗教/宗派が
混在して、モザイク状に個々の精神生活を形造り、宗教戒律による生活習慣を
守っている人々も多数存在します。 
 さらに理解を妨げることは、同じキリスト教徒の中でも宗派による相違があ
り、政治的な活動もまた様々な宗教団体により異なる点にあります。

 ブッシュ政権の閣僚の構成は、軍事タカ派、穏健中道派とキリスト教宗教右
派の三派であると米国では表現されています。
●軍事的タカ派はチェイニー副大統領とラムズフェルド国防長官に代表されて
いて冷戦時代以来の対外強硬派と、ネオコン(新保守主義派)ポール・ウルフ
ォウィッツ国防副長官やリチャード・パール国防政策委員会委員長が一体とな
っていると言われています。
●穏健中道派はパウエル国務長官に代表される、政府勤務とワシントン生活の
長い実務派で、ウオール街の利害にも敏感で、国際協調を重視する傾向があり
ます。
●アッシュクロフト司法長官を代表とする宗教右派の特徴は、妊娠中絶、同性
愛、銃規制、国際刑事裁判所などの問題では、絶対に譲れない明確な一線を築
き、違う立場を表明する人々を敵視する傾向があり、激しいロビー活動が有名
です。この司法長官選任に際してはリベラル派から猛烈な批判がありました。

 この三つの派の中で、穏健中道派は、私たち日本人にとっても理解しやすく、
あらかたの日本人特派員や駐在員は穏健中道派を心情的に支持していると思わ
れます。

 軍事タカ派とネオコンについては、良く理解しておく必要があります。
特にネオコンは、モンローイズムに代表される、孤立主義が多かった従来の保
守勢力とは異なり、対外的な単独行動を含めて、力による秩序、強力な同盟関
係、イデオロギー外交としての人権・民主主義・資本主義の浸透を主張してい
ます。彼らは学者集団でもあり、理論武装も徹底的に行なっています。米国を
かってのローマ帝国や大英帝国と同様に、あるいは上回る國とすることを、理
想としている人も多いと言われます。

 今一つのキリスト教宗教右派のことは、良く判らないためか、日本へ伝えら
れる情報も少ないのではないかと思われます。
 キリスト教右派の中には「テレビ伝導師」のような日本にはない形式の布教
で、多数の信者への大きな影響力を持つ人物もあり、イスラム教徒の国外追放
を主張するものさえあります。
 近年の話題は、テレビ伝導師の一人であるパット・ロバートソンが1989年
に立ち上げた「クリスチャン・コアリション」で、現在は会員数は200万人
とされ共和党支持票の大勢力になっていて、大統領選挙の過程において影響力
が極めて強いと評されています。
 
 ブッシュ・パパの時の副大統領ダン・クエールはキリスト教原理主義者で
あり、大統領選挙でのキリスト教右派の取り込みのため副大統領として選ば
れたとされています。
 排他的な傾向の強い「キリスト教原理主義」を掲げる各派の中で、この「ク
リスチャン・コアリション」は、宗教色を薄めて政治的影響力を高めるための
会員獲得を推進して来たと言われています。

 最近では、今年7月に国連人口基金への拠出をブッシュ政権は中止しました。
この基金は途上国での家族計画を進めていましたが、基金の支援で中国の強制避
妊が行なわれいるなどと、宗教右派が批判していたものです。
 さらに8月には、新生児権利保障法案が成立しました。生まれてきた新生児
は連邦法に基づくすべての権利を与えて保護するという内容です。この法案も
また宗教右派が推進して来た法案です。
 日本人には理解し難い面がありますが、避妊と妊娠中絶はキリスト教原理主
義の立場からは絶対に許せない重要な問題で、政治的な対立点でもあります。

 先頃の中間選挙を控えて成立したこの二つの法案成立は、共和党が宗教右派
の取り込みを狙ったものであったのでしょう。先頃の日本の補欠選挙に与党側
が勝利したのと同様に、投票率の低い米国中間選挙ではキリスト教右派の組織
票を押さえる選挙戦術が有効であったと考えられます。

 このように勢力を強めた「クリスチャン・コアリション」に「全米ライフル
協会」「全米独立企業連盟」などの右派系の団体が、協同歩調を取るようにな
って「全米保守連合」として、米国の右翼を形成しています。この状況はキリ
スト教原理主義者に新保守主義(ネオコン)が歩み寄ったとも言われています。

 かって、レーガン政権はソ連を「悪の帝国」として軍備拡大の対決戦略を取
りましたが、レーガンはキリスト教原理主義の影響を最も受けていたと言われ
ます。そしてブッシュ政権の唱える「悪の枢軸」には、類似の背景が感じられ
ます。

 キリスト教原理主義には、聖書にある「ハルマゲドン」というこの世の終わ
りの予言を、信ずる部分があります。最後の審判を受ける人間の中で、天国へ
引き上げられることを望むという信仰は、私たちにとってはオーム真理教の報
道の中でしか馴染みのなかったものですが、本来はキリスト教のものなのです。

 ブッシュ政権の提唱する「テロとの戦い」についても、イランへの軍事攻撃
にしても、ネオコンとキリスト教原理主義とは手を取り合っているように見え
ます。イスラエルとアラブの対立、石油利権を巡る米・仏・露の国家間利害対
立、加えるに宗教観からの対立の視点も、米国の政治情勢の中で見逃すことの
出来ない観察分析ポイントです。関連サイトをご紹介しますのでご覧ください。

 これらの宗教の絡んだ私たちにとって判り難い米国の政治情勢ではあります
が、日本の政治情勢もまたこれまでは、政府情報の非公開によって判り難いも
のがありました。日本の政治対立の構造は、もはや自由主義対社会主義ではあ
りません。

 国家予算に寄食する者に対する予算配分の恩恵の少ない者。言い方を変えれ
ば、税金と國の運営する保険制度の保険料を負担するだけ大半の組織されてい
ない人たちと、税金の出口に群がっている人たちの集団。経済成長の鈍化によ
って、この両者の対立が鮮明になって来ました。

 これまでの概念とは異なる対立であるだけに、これまた注意深く対処しなけ
ればなりません。不況の深刻化やさらなる長期化ともなれば、この対立はこれ
からさらに激化するものと考えられます。

ご参考サイト
●「クリスチャン・コアリション」

●「パット・ロバートソン.com」

▼「全米保守連合] American Conservative Union

●『宗教に揺れるアメリカ—民主政治の背後にあるもの』 蓮見 博昭 著

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『子育てのゆくえ』2002.0915 松居 和さん(昭48塾高)

 この文章は松井和さんが2002年10月の「小児保健学会」での基調講演と、
同年11月の日本「乳幼児教育学会」での講演に先立って配られる論文誌への
寄稿として纏められたものです。

  松井さんは音楽プロデューサーとしてアメリカで長年活躍され、慶子夫人は
ジャズピアニストとして高い評価を受ける演奏活動をしながら、お二人のお子
さんを育てられ、子育てに関する著作もされています。

アメリカにおける家庭崩壊

 1984年、アメリカ政府は子どもたちの教育の問題を「国家の存続にかかわ
る、緊急かつ最重要問題」と定義し1年間大騒ぎしました。この年、子どもたち
の平均的教育レベルが親たちを下回るという、国の歴史始まって以来の調査結果
が報告されたのです。
 学校教育の普及が民主主義の根幹だと考え、義務教育を充実させ、35年前親
たちの世代に50%だった高校の卒業率がその年72%になっていました。教育
システムが普及充実したのに、若い世代の学力が下がったという現実はショッキ
ングでした。
 もう一つ、私が耳を疑ったのは、社会で通用するだけの読み書きが出来ない子
どもが高卒で20%を超えたという報告でした。12年間学校へ行って読み書き
が出来ない。数字の向こうに家庭が見えました。
 義務教育の普及、幼稚園保育園も含めた教育システムの普及は親子を不自然に
引き離し、無関心な親を生み、やがて家庭を崩壊させる。家庭が崩壊すると画一
教育が出来なくなり、学校が崩壊してゆきます。アメリカでは教師の半数が七年
以内に教職を去ります。画一教育が出来ないと教師の精神的健康が保てません。
 子育てに一番大切なのがそのやり方ではなく、母親の精神的健康であるように、
学校教育システムで一番大切なのは教師の精神的健康です。
 
 五年後、ワシントン市が「プロジェクト2000」という試みを始めました。
公立小学校を使って子どもたちに父親像を教えようというものでした。首都で、
半数以上の家庭に大人の男性がいないという情況が背景にありました。
 そして五年前、連邦議会に提出された「タレント・フェアクロス法案」は、
「21歳以下の未婚の女性が子どもを産んだ場合に生活保護費を出さず、その予
算で孤児院を作り子どもを収容して育てよう」というものでした。
 将来犯罪を取締まり裁くためにかかる費用、刑務所の建設費を考えれば、孤児
院の方が安上がりだと言い始める議員たちが現れたのです。経済論が根底にある
のですが、母親より政府が育てるほうが社会のため、子どものためにはいい、と
いう考え方は先進国社会では画期的であり、理にかなっていて、不気味でした。

 母子家庭が必ずしも悪いわけではない。昔から、母親の働く姿を見て、しっか
りした優しい子どもが育つことはいくらもあったはずです。しかし、現代社会の
母子家庭は学校が普及する前のそれとは質が違う。親子関係の質がこれほど急激
に変化している時代はないのです。
 この法案はさすがに否決されました。母子家庭や里親制度で虐待されている子
どもたちを収容しようとすると、200万人収容する孤児院を作らなければなら
ないという試算が出たからです。これは経済的に不可能です。しかし、当時この
法案に賛成していたギングリッジ下院議長が、「孤児院と考えずに24時間の託
児所と考えればいいのだ」と言ったのを私はハッキリ覚えています。

 母子家庭から子どもを取り上げ政府が育てれば確かに一時的に犯罪は減るでし
ょう。しかし、その先に決定的な家庭崩壊の波がやってくる。「幼児を育てるこ
と」を親が体験すること、社会に親心が育つことの意味が見えていない。親が子
育てを体験しないことの社会的損失が見えていないのです。統計で言えば、今年
アメリカで生まれる子どもの20人に1人が一生に一度は刑務所に入ります。
 誘拐や家出で、毎日2000人以上の子どもが行方不明になり、そのうち
200人は未解決のまま行方不明者になります。誘拐事件の多くが家族を求めて
の誘拐です。去年日本中を震撼とさせた新潟の少女誘拐監禁事件が毎日全米各地
で起こっているのです。

 親らしい親が減り幼児虐待が確実に増え、日本も欧米並の家庭崩壊に直面しよ
うとしている時に、エンゼルプランや延長保育でますます親子を引き離そうとす
る日本の政治家や行政は、このアメリカの下院議長の発言をどう受け止めている
のか。私は彼らに単純に制度の改革やシステムの充実をすすめることの恐ろしさ
を知ってほしい。時には「変えないこと」「改革をしないこと」「何もしないこ
と」の方が良い場合もあるということ。そして、「福祉」「少子化対策」という
言葉の危険性を認識してほしいのです。

 先進国の中で、人口増加という形で少子化対策に成功した国はありません。
欧米並に女性を働かせれば税収が増え少子化で減る分を補える。「女性の意識改
革」と言っておけば、女性のオピニオンリーダーたちも「権利だ」「権利だ」と
喜んで乗ってくるにちがいないという策略です。
 子育て支援、女性の地位向上の本質は労働者の数を増やすことに主眼をおいた
増税対策です。それにやすやすとダマされるわけにはいかない。

カウンセラーの危険性


フレデリックリトウィン、カナダは誰ですか?

 アメリカで、子どもたちの二十人にひとりが学校から精神安定剤を勧められ服
用しています。学校にカウンセラーが普及したことによって、どれだけ親子の育
ち合いが国から消えたか。
 カウンセリング、対処療法はほとんど無力です。効き目があるとしても、それ
は友人同士、家族関係における相談のしあいよりも効果があるわけではありませ
ん。それを隠すために薬物が処方されます。薬物で維持する画一教育が、かろう
じて教師たちの精神的安定を支えている。公立学校における薬物使用と親たちが
それを日常的に受け入れているというアメリカの現実は不気味です。政府が薬物
で大衆を支配する時代がそこまで来ているのかも知れない。その入り口に立って
手招きしているのが、数年勉強すれば他人の相談にのれると勘違いしている「カ
ウンセラー」たちなのです。

 カウンセラーを教育システムに導入してはいけない。
これは私から日本の学校教育システムに対する「強い警告」です。
たとえ100歩ゆずって学問を基盤とした一対一のカウンセリングにある程度効
果があったとしても、社会に定着させることは困難です。人数と予算が追いつき
ません。カウンセリングが定着すればするほど人間関係が崩れ、ますますカウン
セラーが必要になっていくからです。
 親身になって助け合うことによって人が育ち合う。育ち合うことによってより
親身な人間関係ができる。これが人間社会の基盤です。子どもが問題を起こした
時重要なのは、親がどう育てたかを分析することではなく、親がその時まわりに
どれだけ親身な人間関係を持っているかなのです。

 心理学や精神医学が学問として研究されるのは良いでしょう。しかし大衆に普
及してはいけないと私が考えるわけは、学校に親の肩代わりができないように、
カウンセラーや心理セラピストにも物理的経済的に見て、親による子育ての肩代
わりはできないという現実を欧米社会を見て知っているからです。

 もう四、五年すれば、現実の社会に怯え自信を失い立ちすくむ若い臨床心理士
が日本中に現れるでしょう。彼らが安易に解決策を薬物に求めることなく、真剣
に悩み、自分たちが何をしているかに気づき、仕事を放棄してくれることを祈り
ます。
 システムも学問も法律も、多くの人間が「子育て」をとおして親らしくなる、
親心が社会に空気として存在する、という昔からの進化の土壌がなければ成り立
ちません。
 システムも学問も法律も、幼児と関わることから自然に生まれる秩序やモラル
にとって代われるものでは絶対にありません。

日本の奇跡

 アメリカでは、生まれてくる子どもの3人に1人が未婚の母親から産まれます。
(イギリスで3人に1人、フランスは4割、ドイツで2割、スエーデンでは6割。
日本はまだ2%です。)そして、子どもが18歳になるまでに40%の親が離婚
します。実の両親揃って育てられる子どものほうが少ない人間社会がそこにあり
ます。実の親、血のつながり、親子という関係が意味を持たなくなってきた社会
です。それを見ていると、これから地球はどうなっていくのだろう、と不安にな
ります。半数近くの親たちが、自分の子どもに無関心になる社会は充分可能なの
です。

 神はなぜ人間に幼児をあたえたか。
 なぜ0歳児はしゃべれないのか、歩けないのか、一人では生きられないのか。
この絶対的弱者の存在こそが我々に幸福感を教えてくれるのではないのか。この
存在こそが、人間から善性を引き出し、社会にモラル・秩序を生み出すのではな
いか。幼児をどう育てるか、という視点を捨て、幼児がどう親を育てているのか、
という視点で人間社会を眺めないと、日本も欧米の失敗を繰り返すことになって
しまいます。 
 幼児は親に何を伝えるために生まれてきたのか。このことを真剣に考え始めな
いと、日本もあの曲り角をまがってしまう。それは困る。
 まずひとり一人の親が子育てに取り組まねばなりません。そこに幸福を感じな
ければなりません。
 子育ては特殊な事情がないかぎり夫婦でやります。子どもを一番身近かで見て
いる2人が、違った人生体験をもとにして、相談しながら取り組めば夫婦の人間
関係が育ちます。子どもがどう育つかではないのです。子どものまわりでどんな
人間関係が育つか、が大切なのです。親たちが子どもを育てることによって心を
ひとつにする。親らしい気持が社会をおおってはじめて人間は幸福に向かって進
化できるのです。

 私はアメリカに住んで25年になります。六年前、上の娘が学齢に達した時生
活の場を日本に移しました。働く場所はアメリカで、毎月の渡米は体力的にも辛
いのですが、学校だけは日本で行かせたかった。子どもを育てるなら日本は世界
一環境の整った素晴らしい国だと思います。まず安全です。そして、欧米との決
定的な違いは、悪くなってきたとはいえ、家庭がまだしっかりしているというこ
とです。
 日本では、高校を卒業すると全員が読み書きが出来るようになります。「個性
を大切に」とか「自由にのびのびと」などという得体の知れない間抜けな言葉遊
びより、やっぱり学校は読み書き算数です。だからアメリカも日本の真似をして
公立学校に制服を取り入れ始めたのです。

 イジメは確かに問題ですが、子どもが二時間にひとり拳銃で撃たれ、誘拐を心
配する幼稚園から指紋の登録をすすめられる国に比べれば日本は天国です。戦争
も徴兵もない。子どもが親に殺される確率もアメリカに比べれば五十分の一です。
先進国社会の中では奇跡的に子どもたちを囲む環境がいい。この国で子育てをし
ている親たちは、自分の幸運さに感謝すべきです。感謝の気持ちが子育てを楽に
します。
 「欧米に比べ日本の教育はダメだ、日本の親はダメだ」と批判する文化人、知
識人、学者、タレント、たくさんいますが騙されてはいけません。みんな自分が
テレビやマスコミで食べてゆくためにいい加減なことを言っている大嘘つきたち
です。日本ほど、社会が安定していて、親たちが親らしく、子どもたちが幸せそ
うで、教師たちがまあまあ熱心で、犯罪が極端に少なくて、幸せそうな人が多い
国はありません。
 こんないい国が、しだいに欧米のまねをしながら悪くなっていくのです。

(「子どもの自主性」なんてことを平気で口にする親は、だいたい「子どもに無
関心でいられる親」の予備軍です。「自分の自主性」を認めてもらいたいだけな
のです。)

 「受験戦争」、これは良いものだと直感的に思いました。
「受験戦争」は親子でする苦労です。親子で苦労することが親子関係に良いのです。
 苦しめては子どもの性格が歪む、というのはどう考えても嘘です。苦しめるにも
程度がありますが、適当な苦労、とくに親子で体験する苦労は家族の絆を深める絶
対条件といっても良いでしょう。いい親子関係を持ちたかったら、受験戦争くらい
はしっかりと参加しなければいけません。その苦労から学ぶこと生まれることは決
して少なくありません。なによりも親が子育てに具体的な目標を持てることが肝心
です。学ぶ内容なんてどうでも良いのです。私は社会人になってから分数を使った
ことが一度もありません。役に立たないことをたくさん習って「苦労する」のが良
いのです。子どもは鍛えなければ将来いい親になりません。
 「自由にのびのびと」などと言って教育をすれば、将来幼児虐待が増えます。
結婚することも子どもを作ることも「不自由になること」なのです。「その不自由
さ」の中に幸福感を見つける方法を知らなかったら、家庭は成り立ちません。
離婚と女性虐待もますます増えます。

 毎年アメリカで60万人の子どもが親による虐待で重傷を負います。親による虐
待は逃げ場がない。自分が頼りにし、愛したくてしかたがない相手から虐待される。
これほどの裏切り、これほどの絶望感はありません。この悲しみを減らすためなら
大人たちの権利なんて少々犠牲になってもかまわない。もともと子育ては大人が自
分の権利を犠牲にすることに幸福を感じなければ成り立たないのです。
 毎年60万人の子どもが親による虐待で重傷を負うということは、自分の国に毎
年60万個の地雷を埋めているようなものです。これから五十年間いつ爆発しても
おかしくない地雷です。この60万人の子どもたちの悲しみを海の向こうの事とし
て見過ごしてはならない。彼らの心を私たちが身近に感じなければ人類が危うい。
この地球上で、将来一人でも親から虐待される子が減るようにしたい、私の願いは
それだけです。
 それは保育に励むことかもしれない。逆に、保育園が増えないようにすることか
もしれません、と私は保育者たちに言います。
 幼稚園や保育園を使って早いうちに親子を出会わせることが鍵でしょう。時には
虐待が子どもに伝承されないように、親子を引き離すことかもしれません。
 孤立する母親が増えないように、身近にいる人に声をかけることかもしれません、
と私は母親たちに言います。呼び掛けて父親の会を計画することかもしれません。
夫を園に連れ出すことかもしれない、と夫から虐待を受けている母親に言います。
自分が園に行ってたくさんの子どもたちをじっと眺めることかもしれない、と不安
そうにしている母親に言います。子育ては思うようにならないのです、一生懸命や
ってあとは祈るくらいしかないのです、と言います。
 
  こうやればこう育つなんてことがあるのなら私も知りたい。
 17歳の事件が心理学者に分析できるのなら未来の犯罪は防げるのです。分析で
きると言い出した社会ほど犯罪は増えるのです。
 自分の子どものために一人ひとりが土壌を耕し、自らその土壌になること。子ど
もの幸せを強く願うこと。不幸な子どものために祈ること。祈ることによって得ら
れる精神の健康が人間社会にどれだけ大切か。信心を持たなければいけないと言っ
ているのではありません。入学式や卒業式に親がちょっと服装を整える、美容院に
行く。七夕の短冊、神社の絵馬に合格のお願いをする。お盆にお墓参りに行く。
こうした日常生活の中に生きている祈りがとても大切なのです。
 学問が発達し、ものごとに正解があると思い始めると人は祈らなくなります。
すると不安になってますます学問に頼ろうとします。そうして人間関係が壊れてゆ
くのです。

 国際化がすなわち欧米化である以上、21世紀の地球上における日本の役割りは
国際化しないことです。生活習慣や幸福論に関して西洋化しないことです。
 日本という、家庭に幸福感を見い出す社会スタイルの選択肢が人類の未来に必要
な時が必ず来る。欧米型競争社会に人間たちが疲れた時、欧米が日本を振り返る時
が来ると思うのです。
 欧米型「平等」は、実は「機会の平等」でしかなく、強い者に都合のいい、より
不平等な社会を生み出し、それを正当化するだけです。
 競争は、競争に参加する者が増えるほど、より強大な勝者を生み、これは資本主
義の重要なトリックです。権利という言葉を使って、女性に母親であることをやめ
させようとするのもこの動きの一部です。子育てに正解があるようなことを言う連
中の目標は、たいていこの競争社会に向く子供を育てることになっています。
「幸福」のものさしが忘れられているか、歪められている。

 インターネットにより参加者が人種や国境を越えた時、はたして欧米が強者であ
ることを放棄できるのか。インターネットという人間に罪の意識を忘れさせる究極
の「機会の平等」が起爆剤になって、回教原理主義に象徴される回帰運動と資本主
義のぶつかりあいが必ず起こる。
(「パワーゲーム」と「子育て」は幸福論の両極にあって、前者は弱者を生み出し、
後者は弱者を必要とする。)

 未婚の母を増やさない、父親が子育てに関わる社会を維持する。これが最初で最
大の防波堤です。ほとんどの父親が届け出を出し、なんとなく給料を毎月入れる。
それだけでも充分父親は家庭に存在しています。それ以上は恵まれた者の悩みでし
ょう。
 先進国の中で日本だけでもほとんどの家庭に父親が存在する環境を保つことがで
きたら、それはいずれ人類の進歩に選択肢として大きく貢献することになるでしょ
う。
「学校や福祉」と「家庭」の共存という欧米社会が果たせなかった夢をもし日本が
実現できたら、我々の後に続く発展途上国の親子関係に無限の幸福をもたらすこと
になるのです。
 幼児を眺めること、子育てに関わることによって人間社会にモラルと秩序が生ま
れる。優しさが生み出すモラルと秩序は、人類が幸福へ向かって進化するために絶
対不可欠な要素なのです。
 それを失おうとしている欧米がどう進んでゆくかを見極めながら、私たちは、子
どもの幸せ、母親の幸せ、父親の幸せの順に願いつつ、慎重に歩みを進めなければ
なりません。

 幼児と接していれば人間は必ず哲学する機会を与えられます。
 神は無意味に幼児を私たちに与えなかった。
 幸福という概念、幸福という心持ちを宇宙は我々に与えた。
 だから私たちは、皆がその心持ちで一つになるように進化し続けなければならないのです。


(著書:「家庭崩壊・学級崩壊・学校崩壊」「子育てのゆくえ」エイデル研究所発行)

※ホームページをご参照ください。

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小泉改革匍匐前進中2002.08.30 小野 喜也(昭33経)

 平年を上回る高気温の夏、2年度目の予算編成を控えた小泉改革は、匍匐(
ほふく/低いの姿勢で這うという意味です)前進を続けました。ハイライトは
道路問題、道路関係4公団民営化推進委員会の夏休み返上の討議の中で、高速
道路の路線別採算がようやく明らかにされました。
黒字路線はわずかで何十年かかっても赤字が増えるばかりという路線の山です。

 今日、中間報告が決定されますが、今後どのように破綻(はたん)状態の本
州四国連絡橋公団の債務の処理や民営化後の新組織の地域分割のあり方など、
中間報告で積み残した課題を解決するかの議論が進み、年末に最終報告を取り
まとめられます。急進と漸進の違いがあっても膨大な赤字を放置できないとい
う常識が前進しました。

 旧来の方針を守りたい県知事を先頭とする地方自治体は、自己負担なしで國
の予算に依存したいという財政状態にあり、国会の道路族を束ねる領袖たちは
「道路建設は採算性のみで判断してはならない」と主張しています。
(1)高速道路の計画、整備、管理は国が責任を持つべきだ(2)料金収入を
最大限活用し、建設投資を確保する、など、自民党の「高速道路のあり方に関
する検討委員会」は主張し、公明党も同調しています。
 不採算路線ばかりの現状の数字を国民に明らかにせずにいた責任や、関連諸
団体は黒字が多く利権の巣として天下りの受け皿にしていることには、何ら言
及しません。
 
 郵政公社のトップ人事が決まりました。民営化への闘いはこれから始まりま
す。「郵政3事業の在り方について考える懇談会」は、将来の民営化形態とし
て(1)特殊会社(2)3事業一体の完全民営化(3)郵貯・簡保廃止による
完全民営化の3案を併記したものを、9月に最終報告書としてまとめる見込み
です。
 前国会で重要法案とされた郵政関連法案、医療制度関連法案、有事法案、個
人情報保護法案を、前の二つに絞って成立させた小泉内閣は、郵政改革を前へ
進める闘いを続けています。

 「小泉内閣の閣僚は交替させない」という方針であった首相も、秋には内閣
改造へ踏み切る様子です。大臣になることが選挙に有利な条件であり、派閥の
中で当選回数順を基準に、大臣の椅子を奪い合っていた状況から、未だに頭の
切り替えの出来ない人たちからの圧力に妥協したかに見えます。

 しかし、国民は大臣の肩書きでその人を評価するよりは、大臣として何をし
たのか、何が出来るのかについて、より注目するように状況は変化しつつあり
ます。国民の側に立っていることを有権者が認めなければ、利害関係団体によ
る支持だけでは、次回の国会議員選挙は苦しい戦いになるのではないでしょう
か。有権者のほとんどは利権の分け前とは縁遠い人たちなのです。

 前外務大臣、田中真紀子さんの活躍は大きな波紋を巻き起こしましたが、罷
免後の鈴木宗男議員逮捕と外務省腐敗の状況を見れば、問題の所在が何であっ
たかは明らかになりました。政治資金を求める政治家と自己権限の拡大を追求
している官僚との連携が、常態化しているという実態です。

 現在の日本の統治システムは、敗戦後50年余を経て積上げられて来たもの
ですが、戦勝連合国軍の占領政策は、敗戦前の官僚機構を利用したものであっ
たために、それ以前からの官僚のエリート意識は温存されて、国民へサービス
する「公僕」意識へは転換しませんでした。国民の側もまた封建時代以来の
「お上」意識が色濃く残っています。

 首相公邸の改築で2年間の仮住まいと決まった、品川区東五反田の高級住宅
街の元内閣法制局長官の公邸は、鉄筋コンクリート2階建てで延べ1550平
方メートル。1階に応接室や会議室などがあり、2階が居住スペース。1997
年3月、約11億円で建てられたと報道されました。

 これまでの首相官邸へ接続された首相公邸に比べて、とてつもない公邸を
国家公務員がお手盛りで作っていた実績の一つです。小泉内閣になって昨秋か
らは「五反田共用会議所」として使用されて来たとのことですが、住宅問題に
多くの悩みを持つ国民にとっては、とんでもない話です。

 かつて、鈴木東京都知事時代に建築された渋谷区松濤の高級住宅街の都知事
公邸に、青島前都知事も住んでいました。石原都知事はこれを賃貸施設として
今ではイタリアン・レストランとして結婚披露宴などにも利用されています。

 あらゆる分野にすき間もないほどに浸透して、自己権益の拡大を計って来た
公務員の給与も人事院勧告に沿って削減へ進みます。民間に比べて高水準の退
職金も見直しが始まります。キャリア組に集中していると思われる様々な特権
には縁遠いノンキャリア組にとっては、厳しい回りあわせですが、行政の効率
化に向かって夫々の立場からのご努力を期待します。

 敗戦後57年、明治維新後134年の近代日本の改革は1年や2年では簡単に
完成するはずはありません。小泉内閣の切り開きつつある改革は壮大な規模の
ものです。今では守旧派のレッテルを張られた橋本派の橋本龍太郎元首相の行
なった省庁改革と内閣権限の強化が、現在の小泉改革の足掛かりとなっていま
す。

 小泉内閣が何処まで改革を前進させることが出来るか、まだまだ予断は許さ
れないでしょうが、改革を望む国民にとっては匍匐前進(這って進む)かのよ
うに思える小泉改革も、もう二度と後戻りの出来ない所へ差し掛かりつつある
ように思えます。次回の衆議院議員選挙は大きな歴史の転換点になる予感がし
ます。

「熱し易く冷め易い」テレビの番組や週刊誌の報道に振り回されずに、子供た
ちの将来を見据えて、真の改革を実現するための心構えが、国民にも必要であ
ると思考します。

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マンハッタンのダイアモンド通り2002.8. 浜地 道雄(昭40経)

 ニューヨーク市マンハッタンの四十七丁目は「ダイアモンド通り」と呼ばれ、多く
の宝石商が軒を並べています。ユダヤ人による生産(南アフリカ)、加工(アントワ
ープ)、販売(マンハッタン)という一環経路とも言えましょう。

 そこでは、真っ黒な背広に黒い帽子(その下には小さな丸帽子)、そしてもみ上げ、
つまり、ユダヤ教保守派の正統的な姿です。それにしてもこの「テロ現場」での姿は
信じられないほどの勇気「?」です。というのも、2001年9月11日の「テロ」は、
アラブ(イスラム)テロリストによる対ユダヤ人への「抗議(報復)」だったからで
す。WTC及びWFC(世界金融センター)に勤務する多くの人たちが犠牲になりました。
その中には、多数のユダヤ人も含まれていました。

 一九四八年、国連決議によるイスラエル建国はユダヤ人(シオニスト)が自分たち
が住む土地パレスチナに無断で入り込んだというのがアラブ側の主張であり、それを
約束したイギリスの保守派首相の名前を取った「バルフォア宣言」(一九一七年)を最
近でもアラブ側は「歴史的誤り」として正すようブレア英首相に求めています。
 しかし、それをもって「けしからん」と一方的に断言できないところに、問題の根
の深さがあります。これを解説するのは不可能ですが、要するに聖地を巡って「聖書
時代以来の正当性」を双方が主張していることにあります。

ユダヤ研究=世界への広がり

 ユダヤ人は文字通り、ディアスボラ(離散)の民族として、放浪の生活をしてきま
した。今やアメリカを中心とする世界の経済、金融、芸術、メディアの要所に位置し、
政治にも重要な役割を果たしています。
 グローバライゼーション時代の今、日本もこのユダヤ(対アラブ)問題を傍観する
わけにはいきません。これを知ることで地理的にも世界を駆け巡ることができるし、
非常に興味深い人間ドラマに感心することも多々あります。

 何と言ってもビザを発行してナチスの手から多くのユダヤ人を救った駐リトアニア
領事の杉原千畝の偉業があります。
 一九四〇年(昭和十五年)七月、バルト小国リトアニアの日本領事館にユダヤ人難
民がナチスの手を逃れんと、「出国ビザ(通過ビザ)」を求めてきました。
 逃げ先の一つはカリブ海のキュラソー。今もオランダ領の島で、リトアニアのオラ
ンダ公使がユダヤ人に受け入れを表明し、そこで、日本領事館に「通過ビザ」を求め
て殺到したわけです。結局多くがシベリア鉄道で旧ソ連のウラジオストックを経て、
世界各国へ逃避しました。

 首都ワシントンDCのホロコースト博物館で、先般閉幕した特別展「自由への逃避」
は、正にこの「逃避行」の記録です。神戸や上海における「ハイカラ」な生活写真と
共に杉原千畝の肖像が展示されているのは誇らしいものでした。私は上海生まれだけ
に、同行の年老いた両親は青春を回顧しつつ、感慨に浸っていました。

ホロコースト裁判


どこmarylands女性のバスケットボールコーチが大学に行きました

 他日、シカゴで会ったメラメッド氏はその命のビザで救われ少年時代にシカゴに到着、
長じて世界に冠たる商品取引所を創設しました。いわゆる金融先物の神様と呼ばれ、
デリィバティブ商品を考案した同じユダヤ人の先物師ジョージ・ソロスとともにNHK
の特集でも取り上げられたこともあります。
「先物」というコンセプトは「リスク予見」という感覚に根があるという発言は、なる
ほど、家族ぐるみ、民族ぐるみで辛苦の目にあってきた経験に基づくものと、その発想
に感心しました。

 ユダヤ(人)関連で忘れられないのは、先年問題になった「ガス室はなかった」記事
で廃刊を強いられた週刊誌『マルコ・ポーロ」(文芸春秋)事件です。
 ロサンジェルス近郊にある「サイモン・ウィゼンタール記念館」がその告発者で、六
百万人の犠牲者を出した「ホロコースト」、ナチスの犯罪を「決して忘れない、絶対に
許さない」という象徴の機関です。
 一九四五年十一月のニュールンベルグ裁判以来、多くのナチ犯罪者が裁判にかけられ
ています。ニュールンベルグ裁判といえば、その当時二十二歳だったという同時通訳者
のジークフリード・マルマーさんにお会いする機会があり、「この大変なことがらを通
訳という重大な使命の重圧をどう克服したか?」と質問をぶつけてみました。
 答えは、「言葉上のフォローに精一杯で、ことの重代さに気が付いたのはむしろずッ
ーと後年になってからだ」とのこと。「物事の評価は歴史が語る」ということでしょう。

『六千人の命のビザ』(杉原幸子著)再考

 ところが、月刊誌『世界』六月号に「シャロン(イスラエル)首相宛親書」なるもの
が公開されており、びっくりしました。
 杉原千畝の未亡人幸子(ゆきこ)さんによる「イスラエルのパレスチナからの撤退要
求」です。それ自体は個人の主張でよいのですが、なかに「ビザ発給許可申請は却下さ
れ」、「帰国後、責任を問われ、退官させられた」とあり、これは問題です。

 私の知る限りでは、外交資料の調査では「発行には外国人入国令を遵守せよ」とあり、
「却下」の電報はありません。それに杉原千畝は戦後叙勲を受け、恩給も支給されてい
ます。 退官させられたとありますが、もし訓令違反で解雇ということなら、これはあ
りえないことではないでしょうか。つまり、「美談」には間違いないのですが、劇的効
果を狙って「悪玉日本政府」を打ち出しているように私は受け止められます。外交上非
常に具合の悪いところだと思います。

 私の知るところでは、事実、氷点下のハルピンに関東軍が列車を派遣、二万人のユダ
ヤ難民を凍死から救い、それへのヒットラーの抗議に東条英機が抗弁をしたという記録
もあります。また、当時社団法人JTB(ジャパン・ツーリスト・ビューロー)が一万
一千人の難民輸送を手配したという記録もあります。すなわち自虐的に「日本(人)が
凶悪犯であった」とするのはあたりません。

 何であれ、歴史は史実、資料に基づき、冷静に分析し、そこから「次ぎに何をなすべ
きか」を積極的に考え、行動することが肝要と私は考えます。

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民営化が不況克服の極め手2002.6.8 小野 喜也(昭33経)

 今、国会は重要4法案がいずれも審議が進まず、会期延長をしようとしてい
ます。郵政関連法案、医療制度関連法案、有事法案、個人情報保護法案の内の
予算審議にからむ前の二つに絞って成立を目指す作戦に変わる模様です。

 田中真紀子外務大臣の更迭以来、超高支持率を失った小泉内閣は依然として
歴代内閣と比較して高い支持率があるにも関わらず、テレビショー的な人気の
下落から、元来の党内支持基盤の弱さによる苦戦が目立ちます。

 延長国会での成立を目指す絞られた二法案にしても、原則規制の枠内に留ま
る内容ですから、高支持率を回復しないかぎりは、この内閣で出来る仕事の限
界が見えて来たようです。新たに第2の骨太方針の策定、減税案の検討と建直
しの努力はありますが、次の政局へと政治家の関心は傾きつつあるように見受
けられます。

 今後、どのような展開となるか予測も盛んになっていますが、マスコミの論
調からは相変わらず「どのようにするべきか?」についての指針は見えません。
 日本の問題が何処にあるのか、長年に亘り国民の信頼してきた行政機関がい
かに国民の利益に反した行動を慣習化していたか、いわゆる不祥事についての
報道は溢れるようになりましたが、長期に亘る不況が続いている理由もまた、
その官庁に操られる政治にあることを明確に指摘出来ずにいます。

 政策の検討機関も、政策を法案とする作業も、官庁に頼っている現状からは
「改革」は先送り・引き延ばしの執拗な既得権防衛のディフェンスを破るよう
に進展しません。欧米の大学の法学部にはある立法を教える科目が、日本では
何処の大学にもないことを皆さんはご存じでしょうか? 日本の大学では出来
上がった法律の解釈だけを教えています。
 米国では議員立法を助けて法案作成を行う法律事務所がありますが、日本で
は官庁がほぼ独占して立法府を行政府が支配する体制となっています。
これでは今の野党が政権を担うようになっても、事態は変わりません。
 
 小泉内閣の掲げる改革が「民営化」であることは、国民が高い支持をした通
りに正しいのですが、抵抗勢力の力を削ぐためには、どうしても衆議院の選挙
による出直しが必要であるようです。投票の権利を持つ国民が自分自身の生活
と将来を掛けて、国会議員を選ばなければなりません。
棄権は自分の権利放棄であるばかりか、他の国民への「迷惑行為」です。

 その投票にあたっての基準は「ただ一つ」民営化をすぐに断行しようとして
いるか、様々な理由をつけてゆっくり行おうとしているかの、相違にあります。
もはや「民営化反対」と言う議員は少なく、先延ばし派が多いのです。

 全国の特定郵便局の制度にしても、明治時代の郵便制度を始めたときには、
民間の地方有力者「庄屋さん」に郵便局を引き受けてもらう、民間委託事業だ
ったのです。準官吏扱いとして米での報酬を支払うなど当時の官尊民卑の意識
の下ではありましたが、地域社会の公共の福祉を願う伝統的な庄屋意識がそれ
を支えたのは歴史的事実です。その子孫の現状は誇るべきことでしょうか。

 日本の空港の滑走路問題が実は、航空管制の国営による非効率と航空行政を
握る官庁の自己利益のため予算獲得のために、膨大な無駄な投資が行われてい
ることは、先きに当演説館でお伝えしました。
官庁主導の国家予算はこのような精神構造の上に構築されています。
国民のため、國のためよりも、自らの「省」「局」「庁」の縄張り拡大に努め
るを良しとしてきた、敗戦後の精神構造は改めなければなりません。

 税金の無駄使いは、車の走らない高速道路や橋やトンネルだけではありませ
ん。あらゆる國の事業と公社公団にはびこってしまっているのです。 原則と
して「総てを民営化する」こと、民間の参入を阻んでいる規制を「緩和」では
なく原則として「総べて撤廃する」ことで、国家支出は大幅に削減されます。
その財源によって個人消費を回復するための「大幅減税」も可能になります。

 日本経済の建直しは私達、国民自身の手に委ねられています。
国民に対する「情報公開」を徹底すること、「民営化」により無駄を排除する
ことの断行を目指す人、それ以外の人に投票をしていたのでは国民の生活は改
善されません。

 その結果として、やがて、これまでの議員は一人も居なくなるかも知れませ
ん。政党の枠組みもすっかり変わることでしょう。そのくらいの変化は外国で
は起きたことがあるのです。 言葉だけを教科書で教えられた「主権在民」を
日本に実現し、不況を克服し日本経済の活力を再生するために必要なことは、
「民営化」であることを再認識しましょう。


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固定資産税を正しく減額せよ2002.5.21 小野 喜也(昭33経)

 所有する不動産への課税は、法人であれ個人であれ、仕事に使っていても
住んでいるだけでも、総べて持っているだけで毎年税金を支払うことになって
いることご承知の通りです。

 この所有税は地方自治体の財源として最大の歳入項目であり、地価上昇の
期間には年々増額されて来たものです。バブル崩壊以降は地価の大幅な下落
が起きていますが、これに対する固定資産税評価額の減額はほんの僅かしか
行われていません。仮に1億円まで課税評価額が上がった不動産を所有して
いる人がいると、市場価格は2,500万円にまで下落していても相変わらず
ほぼ1億円に近い評価額に対する税金を毎年負担しています。

 このことは商業地の商店主などから早くから問題として提起され、訴訟も
起こされていると思いますが、一向に進展の報道もなく、地価下落の進行に
より矛盾が拡大し、放置されています。

 地方自治体の赤字の増大による財政危機に追い込まれている現状からは、
手が付けられない状況であろうとは思われますが、地価上昇期には自然増収
と考えて課税額を増やしていたものを、高値での課税額を放置したままとい
うことは、道義に外れた施政と言わざるを得ません。

 一方では民間の法人においては、所有不動産の時価評価は進行しています。
銀行をはじめ国際的な会計基準の導入により、高値取得の不動産の処理には
大変な困難を伴いながら、銀行の焦付き融資の後始末と共に進行しつつあり
ます。これに対して地方自治体のこの問題は全く放置されています。

 國の財政危機の原因には、大きな政府の無駄と公務員の自己擁護のための
膨大な税金の無駄使いであることは様々に明らかとなりつつありますが、地
方自治体にも同様の傾向があり、歳出についての監視は強まり、改善への取
組みが見られるものの、この歳入の大きな問題にはまだ誰も取組もうとして
いません。

 東京都の場合、都税収入4兆円の内に固定資産税は約1兆円と今年度予算
には書かれています。これまで10年を超えて放置して来たこの問題は、た
とえ一度に見直すことは出来なくとも、長期計画として年々の減額を計画的
に実施する方策を立てなければなりません。

 歳出削減による行政サービスの低下は住民に押付け、歳入は論拠の無いま
ま高水準を維持して住民に負担させるといいうのでは、議員と知事の選挙に
際して現職者を支持する人は、減少する一方ということになるでしょう。

 都知事選挙、都議会議員選挙においても、国政選挙と同様に厳しい有権者
の審判が下されることが望まれます。
 現在の議席を持つ人は、与野党を問わず選挙前にはこの問題についての
考えと施策案への回答を求めるアンケート用紙が配付されるものとして、
覚悟をしておいてください。

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『日米関係の新たな課題−ネットワークと地方』2002.4.26 

  高久 裕(昭47政) 国際交流コンサルタント 

(ワシントン日本商工会「会報/巻頭言」への原稿をお送り頂き転載しました。)

1.日本の対外関係のマネージメント

 日本の外交は、今大きな転換期にある。9・11以降急激に変化した国際環境は、
わが国に絶え間ない選択を迫り、わが国の対外関係マネージメントに大きな課題
を投げかけている。しかし、この重要な半年間、皮肉にもわが国の国内政治は混
乱の極にあったといわざるを得ない。昨年の正月から相次いで明らかになった外
務省をめぐる不祥事は、わが国の対外関係システムの心臓部を直撃し日本外交に
未曾有の混乱を巻き起こした。今年に入ってからだけでも、田中真紀子外務大臣
の更迭、鈴木宗男代議士問題、大使級の懲戒人事を含む大規模人事異動など、外
務省をめぐる「大事件」が続発し、多くのメディアが、「日本外交は機能不全」
と指摘するにいたった。
 しかし、日本の対外関係マネージメントの問題は、単に外務省の内部問題だけ
なのだろうか。急激に変化する国際情勢や価値観の多様化は、国内外の政策調整
をより困難なものにしており、もはや外交の専門家だけで物事を解決できる時代
ではないのである。日米関係はその典型でもある。昨今の国際関係での米国の積
極的な行動と同盟国としての対応を迫られる日本を考えれば、日米関係は、グロー
バルな文脈の中でとらえなければならず、そのためには対米関係をどう構築する
か、米国社会との付き合いをどう図るかを改めて考える時期に来ているのではな
いか。米国とどう付き合うかが外交の最優先課題であると言っても過言ではある
まい。

 筆者は、20年近く民間レベルの政治交流活動や政策対話に携わってきた実務
家として、こうした対外環境や国内政治状況の変化の中で、日本の対外関係のマ
ネージメント、とりわけ日米関係について論じてみたい。議会関係者、オピニオン・
リーダー、そして何よりも地方のレベルでの政治交流を行なってきた経験の中から、
とくに人的ネットワーク作りの重要性と地域社会、地方の政治社会をターゲットに
した活動の必要性を強調したい。換言すれば、組織同士、専門家同士の外交からオ
ピニオン・リーダーや政治家のネットワークに支えられた外交への転換、首都対首
都の交渉型関係から相手の奥座敷へ入り込む関係へのシフトを提唱するものである。
以下に私見を申し述べたい。

2.点から線に、線から面に−地方の重視

 20年近くにわたる民間ベースでの政治交流活動の現場経験からいくつかの問題
提起をしたい。
 第一は、ワシントンの外により多くの目を向けることである。州レベルでの政治
に注目し、地方の有力政治家との継続的な関係強化を図るべきだという提案だ。外交
関係を考えれば、政府と議会があるワシントンでの活動が中心になるのは当然のこと
だが、実感として、これまで、日本はワシントンを相手にし過ぎてきたと思えてならな
い。米国のシステムが東京集中型の日本と同じであれば、こうしたアプローチも効果
的となろうが、米国におけるワシントンと日本の東京の位置付けには、相当大きな違
いがある。大統領を頂点とした行政府の権力機構は、最長でも8年に一度は総入替さ
れ、永遠に存在が継続する「霞ヶ関」とは対極のシステムなのである。言い換えれば、
新しい権力やチームを生み出してくるのは、ワシントンのシステムではなく地方に存
在している政治コミュニティであり、地方のダイナミズムなのである。

 いささか旧聞に属するが、昨年3月にテキサスを訪問した時に、旧友でテキサスの
共和党実力者の1人であるハリス・カウンティのジャッジ、ボブ・エッケルスと何度
か食事をする機会を持った。「日本はなぜ大統領の地元にもっと出てこないのか」
という指摘をボブから受けて、思わず考え込んだものである。ハリス・カウンティは、
ヒューストンを含む大カウンティで、その規模は全米でも3位であり、行政と司法の
責任者であるカウンティ・ジャッジの権限は知事クラスに匹敵する。ボブは、ブッシュ
元大統領の時からの地元有力者で、湾岸戦争10周年記念行事には、元大統領とクウェ
ートを訪問したほどの人物だ。彼の周囲には、ブッシュ現大統領の地元政治マシーン
を構成する各界の指導者が存在し、2000年の選挙戦でも地元はもちろん予備選後の
本選挙でも陣営の中核を担う働きをしている。

 ワシントンで政権が発足すると、政治任命で多くの閣僚や行政幹部が就任するが、
当然、地元からも多くの人材が登用され、政権の中枢に入ることになる。政権交代が
あると、日本の新聞紙上では、「知日派がどの程度いるか」、「パイプはあるか」な
どの記事が多く見られるが、地元経由で培われたパイプが生かされているという記事
にお目にかかることはあまりないのではないか。
 地方の若手政治家や実力者へのアプローチをどう組み立てるべきなのか。ワシント
ンでも地方でも方法はいくらでもある。小生がこれまで政治交流プログラムで連携し
てきた団体にもいくつかの候補がある。全米州議会協議会(NCSL)は、全米各州の上下
両院のメンバーが加盟している団体で、さまざまな政策上の情報提供のほか、議員を対
象にしたプログラムの実施などを積極的に行なっており、過去には日本への議員団の
派遣事業も行なったこともある。州議会といっても、日本の県議会とは異なり、立法権
を有し、議員の政治力は国会議員に匹敵するものがあるのはいうまでもない。

 若手の地方議員や政党全国委員会の有力スタッフを世界各国に派遣し、また同様の
グループを米国に受け入れている超党派組織の米国青年政治指導者会議(ACYPL)は極
めて有力な団体である。1966年に米国の若手政治指導者に国際的な理解を深める機会
を提供し、海外の若手指導者とのネットワークを作る目的で設立されたACYPLは、毎年
海外派遣と海外からの受け入れのプログラムを実施しており、これまでに6000人の政治
家をプログラムに参加させてきた。日本とのプログラムも長く、筆者が以前勤務してい
た(財)日本国際交流センターとの間で、1973年から相互訪問を実施してきた。この
事業の「卒業生」の多くが連邦上下両院議員、州知事、閣僚などの地位に就いており、
全米にわたるネットワークの強さは極めて注目される。これらの団体との交流事業は、
これまでも多くの成果をあげてきたが、資金調達を含めた更なる強化と事業のフォロー
アップを組織的、継続的に行なうことで、長期的に日米関係を強化することに資すること
になり、また、重点地域へのアプローチも可能となろう。前述のボブ・エッケルスも
1988年に若手の州下院議員として来日したのが、日本との交流のスタートであり、
成功例のひとつである。

3.米国のコミュニティ・レベルでの市民へのアプローチ

 提案の第二は、米国の国内世論を形成している地域社会へのアプローチの強化である。
全米各地には、国際関係や外交問題への市民啓蒙を目的として活動を続けている民間組織
が数多く存在している。これらの多くは、市民への啓蒙活動を推進することで米国民の対
外関係への理解を増進させる目的で活動を続けている。こうした団体との連携を図ること
で草の根レベルでの日米関係の強化と地固めが可能となるのではないか。

 第一次世界大戦終結直後の1921年、ニューヨークに外交問題評議会(CFR)が設立され、
翌1922年には、シカゴ外交問題評議会(CCFR)も創立された。民間のイニシアティブに
よる本格的な外交問題の啓蒙活動と政策研究活動がこの時に開始されたが、きっかけと
なったのは、国際連盟への加盟の批准否決であった。

やがて、潮流は、全米にも少しず
つ波及し、市民への啓蒙運動と外交政策研究や政策提案活動という二つの流れにつながっ
ていく。第二次世界大戦後には、ニューヨークの外交政策協会が全米各地に存在していた
民間組織の連絡組織となり、その後ワシントンDCに全米世界問題評議会(WACA)が設立さ
れ、各地の団体が加盟し、市民への外交問題の啓蒙活動を積極的に行なうようになる。

 現在、米国各地の80評議会を含め100団体がWACAに加盟するか提携関係を締結して
いる。各地の団体は、定期的な会合や海外の民間団体との共同事業、姉妹都市提携の推進
を市民のイニシアティブで行なっているのが特徴であり、米国の対外政策の「下支え」を
地道に行なっている。ともすれば内向きになりがちな国内世論に対してバランスを取り、
時には警鐘を鳴らす役割を果たしてきたのである。
 このほか、日米関係、日本文化の紹介などを主に地道に活動を続けている民間組織として、
各地に存在する日本協会、日米協会などがある。地方との政治家とのネットワークの推進と
あわせ、これらの世論形成に役割を果たす民間組織に注目し、連携を強化する必要があるので
はないだろうか。

4.総合力強化への施策

 もはや、外交官同士がテーブルをはさんで交渉するだけでは、対外関係の進展を期待する
ことはできない。また、首都地域の活動だけで事足りる時代でもない。対外関係のマネー
ジメントは、国内の利害調整を十分に行ないつつ、中長期の戦略と展望を持ちながら相手国
への働きかけを継続することを必要としている。その意味で、第三の提案として、従来の人材
登用と異なる思い切った政策の採用、人材配置策を講ずることをあげたい。

(1)思い切った外部からの人材登用

相手国に精通した人材を広く国内から求め、効果的
に配置することで、外交の実践に幅と深みが加わることが第一である。この点については、
米国に一日の長があると言わざるを得ない。米国の歴代政権は、駐日大使任命に際しては、
戦略的に決定を行なってきたといえよう。マンスフィールド元上院院内総務、モンデール
元副大統領、フォーリー元下院議長、そしてベーカー元上院院内総務・元大統領首席補佐官
など議会と行政組織の実力者が任命されてきたことは、その証左といえる。円滑な対外関係
の推進には、自国内の調整、「抵抗勢力」の説得が重要であり、また強力な「応援団」の形成
も不可欠である。大使にも国内政治力が大いに求められる時代だ。その意味で、米国の駐日
大使任命の背景には、政治力の重要性の認識が存在するといえよう。

 この中で、フォーリー前米国駐日大使の日本国内の人脈、影響力は特筆に値するものであっ
た。1960年代後半に初来日し、その後、下院議長に就任した90年代まで日米議員交流プログ
ラムなどで20回近く訪日したが、両国の政治交流、政策対話の促進に対して行なった貢献は
他の追随を許さないものであった。1994年の選挙で落選したが、氏の貢献に対して勲一等
旭日桐花章が贈られた際に、東京で開かれた祝賀会に歴代総理、野党党首クラスを含む200人
以上の政財界指導者が集まったことは、記憶に新しい。


大使が果たせる重要な役割には、
ダメージ・コントロールや早期警報発信能力も含まれよう。えひめ丸事故の時、フォーリー
大使は、現地に向かう家族を関西空港で見送り、ワシントンに打電して、政府を挙げてこの
問題に取り組む態勢をとったことは知られているが、この時の行動で日米関係が最悪の事態に
なることが防止されたと言っても過言ではあるまい。この種の緊張関係の前兆が見えたとき、
母国に対して警戒警報を発信することが、事前の備えにつながることも事実であろう。
 任地での活動の広がりを図るためにも、人脈やネットワークを有する人材を思い切って登用
することが総合力の発揮につながると思えてならない。

(2)長期的観点での人事政策の緊急的必要性

第二の提案は、人材配置政策の転換、人材育成
策の根本的見直しである。筆者は、20年近くの現場経験を通じて数多くの日本の外交官と知り
合う機会を得た。多くの外交官が、能力、人格、見識ともに極めて優秀で尊敬に値する人物であり、
国際的にも立派に通用する人材であることを肌で知っているつもりである。もちろん、国家を
背負う気概にあふれ、志も高い。
 しかし、こうした人材が能力を十分に発揮する機会がどの程度あるのかを常日頃から疑問に
思ってきたのである。外務省は、あまりにも頻繁に人事異動を行ってきたのではないか、相手国
に精通した専門家や現地に深い人的ネットワークを有する外交官を育て上げてこなかったので
はないか、と思えてならないのである。

 例えば、駐米日本大使館の議会担当を見ても、折角優秀な人材が配置されても、数年で次の任地
へ赴任し、後任の担当者がまた最初からスタートするというパターンが常に繰り返されてきた。
もちろん、引継ぎはされるのであろうが、こと人脈や人間関係の信頼は本人の努力の積み重ね
以外でそう簡単にできるものではない。まさに継続は力なのである。蓄積無しでの勝負は相当な
ハンディキャップになるのである。
 これは外務省に限らず、日本社会全体に存在する問題、即ち最終的には内向きな日本の組織哲学
に起因する問題であろう。組織の梯子の過程にポストがあり、その通過がキャリア形成に不可欠
といえばそれまでだが、これほど重要な日米関係を担当するエリート外交官が常に初対面の挨拶を
繰り返すことに果たして合理的理由があるのだろうか。むしろ、10年ぐらいの展望の中で、議会
対策をじっくりと担当する外交官が揃っていてもよいのではないだろうか。そろそろ問い直すべ
きであると確信する。昨今の外務省問題で、同一ポストへの長期的な配置は今後行なわない、
などという方針が出されたようだが、目指すべき改革の方向はむしろ逆ではないだろうか。

5.日米関係は、実践の連続で強化を

 前述したように、日本の外交官が優秀であることに疑問はない。ただし、日本はあまりに限定
された組織や人材に外交を委ねてきたのではないだろうか。第一次世界大戦後に、米国国内に
外交問題への市民参加の気運が盛り上がり、多くの民間機関が設立されたのは、これまでに述べ
たとおりだが、現在わが国に求められているのも、国民一人一人が政治や対外関係に参加して
いくことであろう。幸い、日米関係を見渡しても、人材は雲の如しである。両国間の交流も、
多重多層に広がりを見せている。以前は、日本からの出超であった人的交流も全国の市町村の
学校で英語教育に携わるジェット・プログラムで来日する米国の若者によって、双方向になって
きた。あとは、こうした投資を効果的に活用することではないか。日本の国際的役割が問われ
ている現在、そしてどのような政策を展開するにしても、その中心に日米間の緊密な協議が必要
とされている以上、新たな観点で思い切って日米関係を再構築する必要があることをこの場を
借りて訴えたい。 (了)

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空港と管制の民営化を2002.4.19 小野 喜也(昭33経)

 言った言わないの嘘つき合戦は、暴露合戦へと展開して、与野党ともども国会
議員が税金の出口に群がって、私物化して来ていたことが、明るみに出て来まし
た。
 構造改革の基本は国営事業を民間へ移行することが基本です。国営直轄事業を
官僚が仕切り、そこに国会議員が関与する構造こそが族議員を生み出し、派閥を
賄う資金源になって来たことは、ようやく広く国民に認識されるようになって来
ました。

 「成田国際空港」は、ようやくにして寸足らずの二本目の滑走路が使えるよう
になりましたが、この空港は自民党の副総裁であった故川島正次郎氏の選挙区に
誘致されたものです。この空港の運営も特殊法人という形式の国営ならば、航空
管制の仕事も日本は国営であるために非効率の固まりの一つです。

 道路公団の民営化、本四架橋の問題と道路問題は随分と報道されて、空港建設
についても問題が提起されるようになりましたが、国土建設省の空港運営の改善
策は大阪と成田を合併するなど、改善とは方向の異なる利権維持策に留まってい
ます。
 またその運営については報道では触れられていません。3,000メートルの滑走
路一本で諸外国の国際空港が、どれだけの発着便を捌いているかの、国際比較の
報道などは見たことがありません。欧米諸国の国際空港の年間発着便数は、日本
のほぼ二倍であると一部のミニコミでは伝えられています。

 何故、半分の離着陸しか捌けないかと言えば、その理由は滑走路というハード
面ではなく、航空管制というソフト面にあるようです。着陸に際しての航空機の
間隔は各国が3マイルであるのに、日本では5マイルとしているのです。新幹線
もJR電車も世界一流の短い運転間隔で安全に運行されているのに、航空管制にお
いては大きく遅れています。
 ここにも国営ゆえの事勿れ主義、労働強化にな反対する官公労、働いても働か
なくても賃金と処遇は変わらない公務員制度の、病いが存在しているようです。

 このような、ちょっと調べれば直ぐに判る程度のことを、国政調査権を持つ国
会議員が何故調べないのでしょうか。与党議員は上から潰される構造があったと
しても、野党議員が行わない理由は何なのでしょう。組合への気兼ねでしょうか。
あるいは所管官庁あるいは官邸からの国会対策費用のおこぼれに預かって取り上
げずに来たかと勘ぐられても不思議はありません。
 この甘い航空管制業務の実態を前提条件として、空港建設や滑走路の増設が計
算されているために、国民がより多くの負担を強いられていることは間違いなさ
そうです。

 空港の建設も運営も、航空管制もすべてを民営化することが、日本の国際競争
力を回復するための唯一の方法でしょう。
 道路交通渋滞の原因の一つである駐車規制の問題にしても警察に取締を委ねて
いたのでは、解決には程遠いことは明らかです。石原都知事によれば駐車違反の
摘発への民間利用には警視庁からの強い抵抗があるそうですが、ニューヨークで
は既に実施されています。地元との癒着のない外部者の活用はここでも必要です。

 これまで、新聞が知っていても書かなかった事実はまだまだ沢山あります。最
近の一連の暴露合戦は一部週刊誌の記事に端を発していて、発行部数の減少に悩
んでいた週刊誌は、このところ大幅な売れ行き増加となり息を吹き返しています
から、この路線を継続するようになるでしょう。今や内部告発や売り込み情報へ
の対応に追われているかも知れません。

 しかしながら、週刊誌の報道ではまだまだ満足する訳にはいきません。国営事
業の原則非公開のデータを調べて、国際間比較による正しい運営を求める、「調
査報道」を新聞社には担って貰いたいものです。
 産経新聞社の夕刊廃止と駅売り一部100円の方針は、ようやくカルテル体質
からの変化が起きていることを示していますが、記者クラブ発表主体のお仕着せ
記事ばかりでは、やがて定期購読者は減少の一途をたどると考えられます。

 一つの新聞を隅から隅まで目を通すと、かなりの時間が必要です。その同じ時
間をインターネットの閲覧に使うと、必要な要点については何紙もの新聞を読め
ます。さらに専門紙のサイトも読めますし、英字新聞を楽に読める辞書ソフトも
安く提供されているのです。若者の新聞離れは顕著ですが、パソコンの普及と共
に、この動きはさらに他の世代にも広がることでしょう。

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国家公務員の目線は何処へ2002.2.4 小野 喜也(昭33経)

 アフガニスタン支援国際会議への特定NGO団体の出席について、国会議員から
外務省幹部に対して干渉があったか無かったか、「言った言わない」論争に始まっ
た騒動は、田中真紀子外相の更迭となり小泉首相支持率の大幅低下を招きました。
 この事の推移を巡ってマスコミは賑やかに取り上げていますが、この問題につい
ても政界と官界との近過去、近歴史からの基本についての考察と報道が欠落してい
るように思えます。

 昨年以来の外務省の人事を巡る動きを見るだけでも、国家公務員の頂点を占める
中央官庁の幹部人事が、所管大臣の権限の下にないことは明らかです。大臣の意向
に関わらず内閣総理大臣の意向、閣内主要閣僚の意向、ひいては与党幹部の意向が
幹部人事に影響を与えていることが、容易に観察されました。
 所管大臣に担当省庁幹部の人事権が存在しないという状態は、最近にわかに起っ
たとは思えません。はるか以前から総理大臣の任期の長短に関わらず、内閣改造と
称する大臣ポストのたらい回しを、与党統治の手法として大臣の交替を頻繁に行っ
て来たことと無関係であるはずはありません。

 ピラミッドを登るように最高位の事務次官を目指す、国家公務員上級職の人たち
は、このような環境の中で、どのように目線を定めて行動をするかは明らかです。
自らの将来の職位を決定する政治家と近づき関係を強化することが第一義となり、
省庁内での次官・局長のラインとは別に、早くから政治家との接触と良好な関係の
育成に意を用いることは当然の行為として、続けれられて来たと考えられます。
そして、このような環境が長く続いて来たことから、この処世の方法は骨の髄まで
滲み込んでいるのではないでしょうか。

 仮に、このような状況を民間企業に当て嵌めて考えてみると、社長の人事は大株
主の意向次第で任期は長く続くことはなく、副社長が役員以下の幹部人事を把握し
ていて、その副社長の意向とも異なる大株主からの干渉が、常に役員と幹部の人事
についてあるという形になります。これでは社長の指揮が効果的に行われることは
有り得ないことになります。
 会長と社長が互いに反目して人事に公正さが欠けたり、次期社長を巡る候補者間
の競争が派閥化して、役員と幹部社員の人事が歪められるなどは、どの会社にも起
こり得る人事抗争の形態に過ぎませんが、そのような抗争を抱えた企業が効率的に
動くことはありません。

 民間企業でも、いわゆる護送船団方式でカルテル体質に安住して来た産業と大企
業の中には、この社外からの人事干渉が所管官庁からも常時行われて来たことは、
知る人ぞ知ることではないでしょうか。国家公務員は自らの置かれた環境における
政治家との関係を、所管業界に対しては自己権限の増殖へ役立てるような関係とし
て同じ様に運営することに努めて来たとのが、近世の歴史であるように考えられま
す。

 このような組織の最適効率化を目指す公正な方法とは程遠い人事管理の方法が、
我が国を覆い尽してきたのが、近過去、近世歴史の真実であるとの認識は、いわゆ
る「大人の常識」として、あからさまにされることなく、教科書に書かれない真実
として社会的な認知を得たか、あるいは諦めにより受け入れられて来たに違いあり
ません。

 リーダ−は人事を説明することは出来ません。決定への思考と検討の過程を全て
明らかに出来ることは、むしろ例外であり、そのことがリーダーの苦しい点である
と同時に、恣意的な決定の行われる危険を許していることになります。
 役職員の生産性の向上を目指して、客観性のある評価方法を導入する試みは、近
年の民間企業では創業経営者の率いる新興企業から、次第に歴史のある大企業でも
行われるようになりつつあります。この成否は企業活力を左右する問題として今後
ますます重要になることでしょう。

 国家公務員については、まだまだ改革はこれからです。
「国会議員からの干渉はあらゆる省庁にある。是々非々で任務に忠実に対応せよ」
「変な人の変なことを言うのは、取り上げるな」と小泉首相は指導していますが、
国会議員の公務員人事への介入を阻止する構造を構築するまでの、手当てに過ぎず
ただちに根本が変わるとは思えません。行政改革と公務員法改正が合目的的に行わ
れることが基本として必要です。

 大組織の人事についての「大人の常識」は、あからさまにされたことは無いので
すから、田中真紀子外相の更迭に世論が一斉に反発をしたのは当然とも言えるので
しょう。日本人の多数派は大組織に所属していませんし、多くの中高年女性には未
体験の事柄です。国民はそれぞれに身近な価値観なり倫理観で判断し行動します。

 小泉首相の高支持率が低下したことは「改革」を支持する層が減少したのではあ
りません。逆に「改革」をやり遂げられないのではないかという失望と懸念による
減少です。株価の新安値も同様の懸念を背景にしています。
 施政方針演説の大筋に則って、より具体的に根本的な問題を切り崩し、改革を
前進させることしか、「改革」を望む国民の賛同を得る方法はないでしょう。

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失業の改善を阻む規制の温存2002.1.30 小野 喜也(昭33経)

 小泉改革の前進を阻む抵抗勢力は様々な分野に強固に存在しています。
昨年7月以降、毎月記録を更新している失業率の上昇が、その都度新記録として
報道しているマスコミは、その間に行われている状況を理解していないのか、失
業の実態を突っ込んだ報道はほとんどありません。改革に伴う「痛み」としての
失業の増加を囃し立てているだけにも感じられます。官業の非効率を正し、民営
化を進めることは改革の柱ですが、小泉内閣は規制を「緩和」するのではなく
「撤廃」する必要が失業問題にもあります。

 職業斡旋業を官業が独占していた時期から、規制は少しづつ緩和されて来まし
た。昭和61年(1986年)に初めて11職種について認め、さらにそれが26業
種に広げられた後に、平成12年(1999年)12月の法改正によって原則自由化
されて、規制の残るネガティブリストが作られました。
 ところが規制の残ったのは、医者、看護婦、製造業、建設、港湾、警備と広
範囲で、原則自由と言うことはオコガマシイほどの規制の温存です。しかも、
自由化された職種についての職業斡旋の期間を1年に限定するという、重大な
規制を残しました。(前掲26業種は3年とされました)
 派遣社員を使う側から見れば、1年だけでは戦力として期待度は限られてし
まいます。そこで当然ながら一層の緩和が要望されて、ようやく45歳以上で
あれば、3年間は認めることになっていますが、規制業種は変えていません。

 この小刻みな緩和の出し惜しみが、あらゆる省庁における「規制緩和」の通例
になっていることに、ご注目ください。
 パソナ、テンプスタッフ、アデコ・キャリアスタッフ、スタッフサービス等々、
この微速前進の規制緩和程度の環境変化においても、業務を拡大し業績をあげて
いる企業は続々と生まれています。小泉首相の唱えるとおり、規制を無くせば
ハローワークではなし得なかった人材斡旋という産業が生まれ育ちます。その
サービスは広く失業した人たちに職業を斡旋し、労働力の再配分に有効である
ことは間違いないでしょう。

 問題は自由化を進めている称する「緩和」ではなくディレギュレーションの
本来の意味である「撤廃」を強行しなければ、効果は挙がらないことにあります。
 この「撤廃」を「緩和」と言い換えた行政機構に問題の根源があることは間違
いありませんが、この職業斡旋の問題については厚生労働省の後ろには大手労働
組合とその集合体があり、組合員の保護を唱えて圧力となっていることが容易に
考えられます。規制業種の名前を眺めると背後の団体が見えるような思いです。

 1980年代の米国失業率は7%台にありました。わが國も今後さらに悪化する
懸念は大きく、既に地方によっては平均を遥かに上回る状況にあるようです。
抵抗勢力はあらゆる分野にいますが、こと失業問題に関しては全面自由化への蛮
勇を、ただちに振るうことが求められていると思われます。

 雇用を創出する新規産業の立ち上げにも、規制は雁字搦めに温存されています。
「原則規制、例外自由」で進んで来た我が國の改革は容易ではありませんが、
「痛み」を和らげる努力が期待されています。

●この論は「首相官邸」へ字数制限の2,000字に要約して送りました。これまで
 の経験から数日中には「受信通知」と首相に伝える旨のメールが返ってくるこ
 とでしょう。官邸メルマガ読者だけでも300万人ですから、応答し整理をする
 担当者は大変だと思われますが、インターネット利用による政治改革の実践と
 して貴重だと思います。

●蛇足ながら、失業率の悪化を報道した1月29日の朝日新聞の社説は、失業率
 の上昇にも関わらず、小泉首相の支持率の下がらないことの分析に留まり、翌
1月30日の日本経済新聞の社説は、『当面さらに悪化が予想される失業問題の
根本的な解決は、経済を再活性化して雇用を創出する以外にない。しかしグロー
バル化などに伴う産業構造の転換により、求人と求職のミスマッチは将来も続
く公算が大きい。それには職業紹介や職業訓練などを充実して労働市場の機能を
強化する必要がある。今求められるのは小手先でない総合的な政策だ。』と掲載
され、具体的な問題点には何も言及していませんでした。

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知力育み武力一辺倒を凌駕 2002.1.25 

 浜地道雄(昭40経)本年1月7日の産経新聞(朝刊)に掲載された

懸賞論文、「文明の衝突』時代にどう対応するか」の入賞論文を転載しました。

≪原文で読ます文明への固持≫

 今回のアメリカの同時多発テロ事件をめぐって、(と、いまさら書き出すの
も憚るほど)実に多くの報道、解説が溢れている。馴染みの薄いイスラム・コ
ーラン、およびその発祥地・中東について日本人が多くの知識を得たことは、
多とすべきであろう。「不夜城文化」を謳歌する日本人がその原資、石油エネ
ルギーの八五%の供給元に無関心なことは慨嘆(がいたん)の至りである。

 その根にあり、かつ論ずべき「文明」の定義・解釈についても多くの専門家
が論議を重ねている。ところがその文明の語源、Civilizationと
はフランス語の「都市化」であり、それ自体が誇り高き砂漠の民、遊牧民(ベド
ウィン)にとっては「軽蔑すべき」生活形態なのだ。

 「コーラン」(岩波文庫)の翻訳者である希有のイスラム学者・井筒俊彦氏は
「コーランの翻訳はむずかしい、と言うより不可能事」と述べているし、本来
「翻訳」してはならないものである。アラビア語の原文で読まねばならない、
という「文明」を、かたくななまでに固持する姿勢である。

 また、碩学・黒田壽郎教授は、イスラム教義を理解困難とした上で「(書物
研究だけでなく現地の)人々との接触が一番である」と告白している。

 この点より、ながく商社の石油マンとしてサウジアラビア、イラン、イラク
など中東で生活し、今は、「テロ現場」ニューヨークにあって、日米を往復し
ている者として、その生活経験をふまえて、「異見」を述べたい。

≪早急の改革は精神の荒廃だ≫

 なぜ豚を食べてはならないか? 「アラー神の言葉コーランにそう書いてあ
るから」。それ以上でもそれ以下でもない。それが完全な答えで、遵守すべき
人生訓、生活則なのだ。コーランには「この世の生活(いのち)は、ただ、つか
の間の遊びごと。来世こそは不滅の宿」とある。貧困にあえぐ庶民には、この
世で苦労すればするほど、あの世の楽園が待っているというのが「支えの全て」
なのだ。 何しろ、現世で禁じられている「酒を飲み、美女とも交われる」こと
すら約されている。

 例えばイラン庶民はホメイニ師登場で、シャー時代よりずっと意を強くした
わけで、ジハード(聖戦)のために地雷探知に、わが子を差し出すことすらした。
イラクとの戦争勃発時、評論家はイラク軍の物量優位性から「早期決着」を予
想したが、結局八年余も続き、今なおくすぶっている。

 また、インドネシアから聖地メッカへの巡礼飛行機が墜落した時、「神に召
された」と喜べる信仰なのだ。リビアのカダフィ大佐が革命により、王政を倒
した時は僅か二十七歳だったが、この時も専門家は「短命」を予測した。

 しかし、宗教的理想に燃えた若者群は「苦しいからこそ」強い忠 誠心と結束
を固めて、三十余年が経過した。これが「彼の文明」なのである。その厳しい
戒律「酒、金利、偶像、歌舞、音曲などの禁止、及び男性優位主義」から見る
と、留まるところを知らぬ勢いで世界を席巻しつつある、アメリカナイゼーシ
ョンは許容できない。

 それは日本をも襲い、最も深刻な次の世代を背負う者の「教育の荒廃」とも
なった。今日、恐れ、憂い、早急に対策を立てるべきはテロ以上に「精神の荒
廃」である。

≪先達に学んで真剣に考慮を≫

 われわれは、「インテリジェンス」に目覚めねばならない。それは、知識、
知力、学問、教育であるし、一方、時に諜報とも解釈される高度な情報力(収集、
分析、配分、応用の総括集)でもある。

 「異文明、異文化」を、理解とまでは言わないが「知ること」、つまり知力
が必要である。それは、自分自身を磨くことであるし、他者を知ることだし、
そこから緩急自在の応用力を発揮することとなる。

 これが間違いなくソフト・パワーとなり、(武力一辺倒の)ハード・パワーを
凌駕する戦略となろう。


 この点は、百二十五年も前の福沢諭吉の説く「文明論之概略」に合致するし、
「学問ノススメ」にも見事に啓示されている。明治維新という世界でも、希有
の無血革命に成功した日本は、突如、国際化の波に曝された。つまり、異文化
との衝突があったわけだ。多くの犠牲、試行錯誤の末に「大国」となった今、
また先達に学び、真剣に考える時期にきた。

 ハンチントンの著書の原題には「文明の衝突」に続けて「世界の秩序の再構
築」とあり、長く覇権を誇った西洋文明から非西洋文明へ移行、ないし多極化
を説いている。「インテリジェント日本」もその一翼を担う立場にある。

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